偉人

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下間頼廉

しもつま らいれん(1537-1626)
登場回数:1作

下間 頼廉(しもつま らいれん、天文6年(1537年)- 寛永3年6月20日(1626年8月11日))は、戦国時代から江戸時代の僧侶、武将。石山本願寺の坊官。下間頼康の子。母は下間頼次の娘。子に頼亮、宗清、仲玄、下間仲世室、牧長勝室、端坊明勝室、川那部宗甫室。幼名は虎寿、通称は源十郎、右衛門尉。剃髪し刑部卿と号す。法名は了入、了悟。法橋、法眼、法印に任ぜられる。
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可児吉長

かに よしなが(1554-1613)
登場回数:1作

可児 吉長(かに よしなが)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。槍の名手として知られた。通称の才蔵(さいぞう)でよく知られており、以下本稿でも才蔵と記す。
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河上彦斎

かわかみ げんさい(1834-1872)
登場回数:2作

河上 彦斎(かわかみ げんさい)は、幕末から明治時代初期にかけての尊皇攘夷派の熊本藩士。諱は玄明(はるあきら)。幕末の四大人斬りの一人とされる。明治維新後も攘夷を強固に主張しつづけたため、藩と新政府に危険視され、斬首された。また、漫画『るろうに剣心』の主人公、緋村剣心のモチーフとなった。
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快川紹喜

かいせん じょうき(1502-1582)
登場回数:4作

快川 紹喜(かいせん じょうき、1502年〈文亀2年〉 - 1582年4月25日〈天正10年4月3日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗妙心寺派の僧。諱(いみな)は紹喜(じょうき)。字は快川。
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柿崎晴家

かきざき はるいえ(?-1578)
登場回数:1作
別名:柿崎家憲/柿崎晴景

柿崎 晴家(かきざき はるいえ、生年不詳 - 天正6年(1578年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。柿崎城主。別名は平三郎、左衛門大輔、左衛門大夫、家憲、晴景。和泉守。子に憲家。
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葛西殿

かさいどの(1233-1317)
登場回数:1作

葛西殿(かさいどの、天福元年(1233年)? - 文保元年10月16日?(1317年11月20日))は、鎌倉時代中期の北条氏一門の女性。葛西禅尼とも。北条重時の長女。鎌倉幕府5代執権北条時頼の正室(継室)。8代執権北条時宗の母。子は他に北条宗政、女子(早世)。
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萱野長修

かやの ながはる(?-1869)
登場回数:1作

萱野 長修(かやの ながはる)は、江戸時代末期(幕末)の会津藩家老。戊辰戦争に敗れた会津藩の責任者として処刑された。通称は権兵衛(ごんのひょうえ)。
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間部詮勝

まなべ あきかつ(1804-1884)
登場回数:5作

間部 詮勝(まなべ あきかつ)は、江戸時代後期の大名。越前鯖江藩第7代藩主。間部家8代。幕末に老中首座を務めた。
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岩松八弥

いわまつ はちや(?-1549)
登場回数:1作

岩松 八弥(いわまつ はちや、生年不詳 - (一説に)天文18年3月6日(1549年4月3日))は、戦国時代に三河国岡崎城主松平広忠(徳川家康の父)を脇差で両断した(または刺殺した)との伝承がある人物。山岡荘八の小説『徳川家康』に取り上げられて流布したほか、これを史実として肯定する説がある。刺突した史料上の初見は、1600年代前半『松平記』および『三河後風土記』と江戸初期からあるが、刺殺説は『岡崎領主古記』などかなり時代が下る。
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紀伊國屋文左衛門

きのくにや ぶんざえもん(1669-1734)
登場回数:3作

紀伊國屋 文左衛門(きのくにや ぶんざえもん、寛文9年〈1669年〉? - 享保19年4月24日〈1734年5月26日〉?)は、日本の江戸時代、元禄期の商人である。元姓は五十嵐氏。名は文吉。俳号は千山。略して「紀文」(きぶん)と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。生没年もはっきりしない等、人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物である。架空の人物であるとする説もあるが、実在したとする説が主流である。
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