偉人

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奈良屋茂左衛門

ならや もざえもん(1662-1714)
登場回数:1作

奈良屋 茂左衛門(ならや もざえもん)は、江戸時代中期の江戸の材木商である。
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内藤信親

ないとう のぶちか(1813-1874)
登場回数:2作
別名:内藤信思

内藤 信親(ないとう のぶちか)は、江戸時代後期の大名、老中。越後国村上藩の第7代藩主。第6代藩主・内藤信敦の三男。母は寛政の改革で有名な老中松平定信の娘である。
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南殿

みなみどの(?-1634)
登場回数:4作

南殿(みなみどの)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。羽柴秀吉の側室。
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二宮敬作

にのみや けいさく(1804-1862)
登場回数:1作

二宮 敬作(にのみや けいさく、文化元年5月10日(1804年6月17日) - 文久2年3月12日(1862年4月10日))は、江戸時代後期の蘭学者・医学者。日本初の女医(産科医)となったシーボルトの娘・楠本イネを養育したことでも知られる。
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尼子勝久

あまご かつひさ(1553-1578)
登場回数:2作

尼子 勝久(あまご かつひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
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日野有光

ひの ありみつ(1387-1443)
登場回数:1作

日野 有光(ひの ありみつ)は、室町時代前期の公卿。藤原北家真夏流日野家、権大納言・日野資教の子。官位は従一位・権大納言。
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波多野義通

はたの よしみち(1107-1167)
登場回数:1作

波多野 義通(はたの よしみち)は、平安時代末期の武将。相模波多野氏5代。
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白石正一郎

しらいし しょういちろう(1812-1880)
登場回数:6作

白石 正一郎(しらいし しょういちろう、文化9年3月7日(1812年4月18日)- 明治13年(1880年)8月31日)は、長府藩の支藩である清末藩の御用商人。名は資風。通称は駒吉。または熊之助。号は橘円。贈正五位。
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八助

はちすけ(?-?)
登場回数:4作

八助(はちすけ、生没年不詳)は、江戸時代前期の人物。赤穂藩家老の大石良雄に仕えた下男。 大石良雄が吉良邸討ち入りのため、赤穂尾崎村を立ち去る際に長年大石家に仕えた八助が良雄のもとを訪れた。八助は「お別れの記念に何かをいただきたく」と乞うたため、良雄が金子を包んで渡すと、八助は怒り「お金ではなく、どうか身につけた記念の品を」と再度乞うた。良雄はわびて絵筆をとって若き頃の自分と八助の主従の様子を絵に描いた。八助はこれに感激して末永く大事にし、家宝として子孫に伝えたという。この逸話は『近世畸人伝』はじめ数種にある主従の美談である。
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飯沼貞吉

いいぬま さだきち(1854-1931)
登場回数:2作

飯沼 貞吉(いいぬま さだきち、嘉永7年3月25日(1854年4月22日) - 昭和6年(1931年)2月12日)は、白虎隊士(士中二番隊所属)、通信技師、軍人。維新後は名を貞雄と改め、逓信省通信技師となる。後に孤舟、孤虎と号した。軍人としての最終階級は陸軍大尉。栄典は正五位勲四等。 年齢を偽って白虎隊に参加したが、戦い利あらず、飯盛山にて他の十九士と共に自刃に及んだが、死に切れず命を救われた。維新後は貞雄と改名し、逓信省の通信技師として各地に勤務し、日清戦争にも従軍した。1931年(昭和6年)2月12日、76歳で生涯を終えた。戒名は、白巖院殿孤虎貞雄居士。
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