偉人

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戸川達安

とがわ みちやす(1567-1628)
登場回数:1作

戸川 達安(とがわ みちやす)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。当初は備前の宇喜多氏の家臣(知行2万5600石)であったが出奔、関ヶ原の戦いでは東軍に属し、その功により備中国庭瀬藩初代藩主となる。
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後水尾天皇

ごみずのおてんのう(1596-1680)
登場回数:1作
別名:政仁/後水尾上皇

後水尾天皇(ごみずのおてんのう、ごみのおてんのう、1596年6月29日〈文禄5年6月4日〉 - 1680年9月11日〈延宝8年8月19日〉)は、日本の第108代天皇(在位: 1611年5月9日〈慶長16年3月27日〉 - 1629年12月22日〈寛永6年11月8日〉)。諱は政仁(ことひと)。幼名は三宮。
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鯉沼九八郎

こいぬま くはちろう(1853-1924)
登場回数:1作

鯉沼 九八郎(こいぬま くはちろう、嘉永5年12月13日(1853年1月22日) - 大正13年(1924年)12月29日)は、栃木県の政治家で自由民権運動家。「隻腕の加波山将軍」の異名で知られる。
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広沢安任

ひろさわ やすとう(1830-1891)
登場回数:2作

広沢 安任(ひろさわ やすとう、文政13年2月2日(1830年2月24日) - 明治24年(1891年)2月5日)は、江戸時代後期(幕末)から明治期の武士(会津藩藩士)、牧場主である。通称富次郎(とみじろう)。
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荒木村重

あらき むらしげ(1535-1586)
登場回数:9作
別名:荒木道薫

荒木 村重(あらき むらしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。利休十哲の1人である。
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高階泰経

たかしな の やすつね(1130-1201)
登場回数:2作

高階 泰経(たかしな の やすつね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。若狭守・高階泰重の子。後白河法皇の側近(院近臣)。
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高師直

こう の もろなお(?-1351)
登場回数:1作

高 師直(こう の もろなお)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて足利尊氏に側近として仕えた武将、官僚、政治家、歌人。正式な名乗りは、高階 師直(たかしな の もろなお)。 高師重の子、兄弟に師泰・重茂、子に師夏・師詮ら。鎌倉幕府有力御家人足利氏執事(家宰)、建武政権雑訴決断所三番奉行人・武者所および窪所寄人、北朝武蔵守、室町幕府初代および第三代執事(室町幕府管領の前身)・上総国守護・武蔵国守護・引付頭人。通称の「高」は、本姓で氏(うじ)の「高階」ないし氏姓「高階朝臣」の略記であり、領地に基づく家名である名字を持たなかった珍しい武家である。文化人・風流人でもあり、ばさら大名のひとりとしても知られる。
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高梨内記

たかなし ないき(?-1615)
登場回数:1作

高梨 内記(たかなし ないき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。真田氏家臣。実名は不詳。
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黒田清隆

くろだ きよたか(1840-1900)
登場回数:3作
別名:黒田了介

黒田 清隆(くろだ きよたか、旧字体:黑田 淸隆、1840年11月9日〈天保11年10月16日〉- 1900年〈明治33年〉8月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。1888年(明治21年)から1889年(明治23年)にかけて第2代内閣総理大臣を務めた。陸軍軍人としての階級は陸軍中将。栄典は従一位大勲位伯爵。通称は仲太郎、了介。
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今川氏真

いまがわ うじざね(1538-1615)
登場回数:7作

今川 氏真(いまがわ うじざね)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、戦国大名、文化人。今川氏12代当主。 父・今川義元が桶狭間の戦いで織田信長によって討たれ、その後、今川家の当主を継ぐが武田信玄と徳川家康による駿河侵攻を受けて敗れ、戦国大名としての今川家は滅亡した。その後は同盟者でもあり妻の早川殿の実家である後北条氏を頼り、最終的には桶狭間の戦いで今川家を離反した徳川家康と和議を結んで臣従し庇護を受けることになった。氏真以後の今川家の子孫は徳川家に高家待遇で迎えられ、江戸幕府で代々の将軍に仕えて存続した。
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