偉人

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妹尾兼康

せのお かねやす(1123-1183)
登場回数:1作
別名:瀬尾兼康

妹尾 兼康(せのお かねやす、保安4年(1123年) - 寿永2年閏10月12日(1183年11月28日))は、平安時代末期の平氏方の武将。瀬尾兼康とも呼ばれる。通称は太郎。
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夢想権之助

むそう ごんのすけ(?-?)
登場回数:1作

夢想 権之助(むそう ごんのすけ、夢想權之助)は、江戸時代初期の剣客である。生没年は不明。また、杖術として有名な神道夢想流杖術の流祖である。同流の口伝では名字は山本、諱は勝吉である。『武芸流派大事典』(綿谷雪、山田忠史)によれば本姓は平野、通称は権兵衛。 『武芸流派大事典』によれば、霞流の桜井大隅守(諱は吉勝)が師、弟子は小首孫右衛門(諱は吉重)。また、松林蝙也斎も権之助の弟子であるといわれる。 夢想権之助は宮本武蔵に敗れたとされている。時期は『海上物語』(惠中(堤六左衛門 諱は坂行)、寛文6年(丙年)弥生(1666年3月))では武蔵が明石滞在時、『二天記』(安永5年(1776年)。なお元となった『武公伝』に記載はない)では、江戸滞在時である。 当流の口伝では、後日に権之助が宝満山の竈門神社で祈願し杖術の研究を重ね、再び武蔵と立会い、ついに破った後に開いたと伝える。 『武稽百人一首』では「武道をば神の夢想ぞ権之助自らゆるす天下一かな」とよまれている。
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明里

あけさと(?-?)
登場回数:1作

明里(あけさと、生没年不詳)は、江戸時代末期(幕末)の女性。新選組総長・山南敬助の恋人。 以下の記述は、昭和になって子母澤寛が八木為三郎(新選組が屯所としていた八木家の子息)からの証言を元に書き記されたとされる『新選組遺聞』を元に解説する。
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毛利秀元

もうり ひでもと(1579-1650)
登場回数:3作

毛利 秀元(もうり ひでもと)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。長門国長府藩の初代藩主。毛利元就の四男である穂井田元清の次男。母は村上通康の娘・妙寿院。正室は豊臣秀長の娘・大善院、継室に徳川家康の養女(松平康元の娘)・浄明院。子に光広、元知など。一時期、従兄の毛利輝元の養嗣子となっていた。茶の湯を古田織部に学んだ茶人でもある。
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木戸孝允

きど たかよし(1833-1877)
登場回数:12作
別名:桂小五郎

木戸 孝允(きど たかよし、1833年8月11日(天保4年6月26日)- 1877年(明治10年)5月26日)は、日本の幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家である。号は松菊、竿鈴。 明治維新の元勲として大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる。幕末期には桂 小五郎(かつら こごろう)の名で活躍した。
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野口健司

のぐち けんじ(1843-1864)
登場回数:1作

野口 健司(のぐち けんじ、天保14年(1843年) - 文久3年12月27日(1864年2月4日))は、新選組隊士(副長助勤)。諱は政詰。 水戸藩出身。江戸の百合元昇三道場で神道無念流を学び目録を得る(免許皆伝とも)。同門には新選組幹部となる永倉新八がいた。 文久3年(1863年)2月、浪士組に参加して上洛。江戸帰還に反対して京都に残留して、同年3月の壬生浪士組結成に参画する。水戸藩出身であったために芹沢鴨、新見錦、平間重助、平山五郎ら水戸派(芹沢派)の一人とされている。壬生浪士組では副長助勤となり、結成初期の幹部となった。野口は芹沢と行動を共にして、芹沢が引き起こした乱行である大坂力士の乱闘に関与したと見なされている。八月十八日の政変の際にも出動している。 同年9月、芹沢と平山は試衛館派(近藤派)によって暗殺され、平間は逃亡した。暗殺事件の夜、野口は角屋に残って難を逃れている。これ以前に新見も切腹させられており、事実上水戸派は壊滅した。(子母澤寛は、「鴨川物語」で、野口が芹沢暗殺者に選ばれ、平間を逃がした説を伝えている。)野口だけは粛清されず、その後も幹部の一人として隊に残留したが、同年12月27日に突然切腹を命じられ、安藤早太郎の介錯で切腹した。切腹の原因については明らかではないが、八木源之丞の後年の証言では「ささいなことで詰め腹を切らされたのではないか」とされている。享年21。 一説には、隊士を騙った水戸浪士の訴訟案件に巻き込まれたともいわれる。
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矢頭教兼

やとう のりかね(1686-1703)
登場回数:4作
別名:矢頭右衛門七

矢頭 教兼(やとう のりかね、貞享3年(1686年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は右衛門七(えもしち)。四十七士の中では大石良金に次いで若年であり、母妹の世話に苦難したことで知られる。『仮名手本忠臣蔵』の佐藤与茂七(さとう よもしち)のモデルとなった。
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柳沢吉保

やなぎさわ よしやす(1659-1714)
登場回数:5作

柳沢 吉保(やなぎさわ よしやす、正字体:柳澤吉保、正仮名遣:やなぎさはよしやす)は、江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名。第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格として幕政を主導した。王朝文化への憧憬を強く抱いた文化人でもあり、江戸に六義園を造営した。
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有馬道純

ありま みちずみ(1837-1903)
登場回数:1作

有馬 道純(ありま みちずみ、天保8年9月9日(1837年10月8日) - 明治36年(1903年)5月24日)は、日本の華族。子爵。江戸時代末期の大名、老中。越前丸岡藩の第8代(最後)の藩主。晴信系有馬家11代。官位は従四位下・侍従、左兵衛佐、遠江守。
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頼豪

らいごう(1002-1084)
登場回数:1作

頼豪(らいごう、長保4年(1002年) - 応徳元年(1084年))は、平安時代中期の天台宗の僧。父は伊賀守藤原有家。
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