偉人

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柴田勝守

しばた かつもり(?-?)
登場回数:1作

柴田 勝守(しばた かつもり、生没年不詳)は、幕末の土佐藩家老。通称は備後。維新後は備と改名する。 城下定住家老・柴田勝載の嫡子。柴田家は戦国時代の武将・柴田勝家の後裔を称しており、中老職、次いで家老職を世襲するようになった。 天保14年(1843年)、おこぜ組の失脚に連座した父が隠居処分になると、その家督を継ぐ。藩政では奉行職と近習家老を代わる代わる務めた。思想としては典型的な保守的な門閥のそれであり、尊王攘夷派や公武合体派などの思想派閥の間には中立的な位置にいたとされている。家老柴田家最後の家督者として、土佐藩が解体されるまで山内家に仕えていたという。
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酒井忠寄

さかい ただより(1704-1766)
登場回数:1作

酒井 忠寄(さかい ただより)は、江戸時代中期の出羽庄内藩の第5代藩主。酒井佐衛門尉家第11代当主。老中。官位は従四位下、摂津守、左衛門尉、侍従。正室は前田綱紀の養女(浅野吉長の娘)。
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宗義成

そう よしなり(1604-1657)
登場回数:1作

宗 義成(そう よしなり)は、対馬国府中藩2代藩主。
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出雲阿国

いずもの おくに(1572-?)
登場回数:3作
別名:出雲の阿国

出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年(1572年) - 没年不明)は、安土桃山時代、江戸時代前期の女性芸能者。ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを創始したことで知られており、このかぶき踊りが様々な変遷を経て、現在の歌舞伎が出来上がったとされる。 一般的には、彼女による「阿国歌舞伎」の誕生には名古屋山三郎が関係しているとされ、「山三郎の亡霊の役を演じる男性とともに踊った」といった解説がなされることが多い。 お国が演じていたものは茶屋遊びを描いたエロティックなものであり、お国自身が遊女的な側面を持っていたという可能性も否定できない。 なお、現在では「出雲の阿国」「出雲のお国」と表記されることが一般的であるが、彼女の生存時の歴史資料にはこのような表記は発見されておらず、これらの表記は、口伝を筆記したもの、あるいは、17世紀後半以降、彼女が伝説化してから広まったものと考えられる。
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所郁太郎

ところ いくたろう(1838-1865)
登場回数:1作

所 郁太郎(ところ いくたろう)は、幕末の医者、志士。井上聞多(後の井上馨)遭難の際に、井上を治療した人物。
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小笠原秀清

おがさわら ひできよ(?-1600)
登場回数:4作

小笠原 秀清(おがさわら ひできよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士・故実家。室町幕府幕臣・細川氏(後の肥後藩主家)家臣。一般には小笠原少斎の名で、細川ガラシャを介錯した人物として知られる。
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小山田庄左衛門

おやまだ しょうざえもん(?-?)
登場回数:4作

小山田 庄左衛門(おやまだ しょうざえもん、生没年不詳)は、江戸時代前期の武士。赤穂藩浅野氏の家臣。
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小松清猷

こまつ きよもと(1827-1855)
登場回数:1作

小松 清猷(こまつ きよもと/きよみち)は、江戸時代後期の薩摩藩士。小松氏当主。1840年より1855年まで薩摩国吉利(現在の日置市日吉町吉利)領主、清水地頭職。家格は一所持。
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小島五郎左衛門

こじま ごろうざえもん(?-?)
登場回数:1作

小島 五郎左衛門(こじま ごろうざえもん、生没年不詳)は、戦国時代の武将。北信の雄・村上義清の家臣。 村上義清の武将として活動しているが詳細は不明。 井上靖『風林火山』では天文19年(1550年)の砥石崩れの際に横田彦十郎に討ち取られており『甲陽軍鑑』に拠ると横田備中の子・十郎兵衛が朝の競り合い組み討ち取ったとしているが確証のないことである。
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小野友五郎

おの ともごろう(1817-1898)
登場回数:1作

小野 友五郎(おの ともごろう、文化14年10月23日(1817年12月1日) - 明治31年(1898年)10月29日)は、江戸時代末期から明治時代にかけての日本の数学者・海軍軍人・財務官僚。諱は広胖(ひろとき、しばしばこうはんとも音読される)。官位は内膳正。元常陸笠間藩士、後に幕臣。和算家としては広胖、洋算家としては友五郎と呼ばれることが多い。
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