偉人

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大友氏時

おおとも うじとき(?-1368)
登場回数:1作

大友 氏時(おおとも うじとき)は、南北朝時代の武将・守護大名。大友氏の8代当主。
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滝川元長

たきがわ もとなが(1662-1748)
登場回数:1作

滝川 元長(たきがわ もとなが、寛文2年(1662年) - 延享4年12月2日(1748年1月2日))は、江戸時代の旗本。滝川征盛の長男。母は安藤正珍の娘。初名は征長。別名は忠隆、忠興。通称は十大夫、彦次郎。官位は従五位下、讃岐守、のちに播磨守。妻は中山直守の養女。弟に須田資生(須田為春養子)。子に黒田直基(長男)、伊東祐連の妻。 寛文7年(1667年)7月5日に父の跡を相続する。小姓組、使番、目付、桐間番頭などを歴任する。主な略歴としては、将軍徳川吉宗の倹約令に反抗する尾張藩徳川宗春への上使として、目付の石河政朝とともに江戸藩邸を訪ねるなどした。しかし、2度自分の屋敷より火事を起こし、その都度、出仕を差し止められた。
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谷万太郎

たに まんたろう(1835-1886)
登場回数:1作

谷 万太郎(たに まんたろう、天保5年12月3日(1835年1月1日) - 明治19年(1886年)6月30日)は、新選組隊士。幼名は万吉。兄は谷三十郎、弟に谷周平。
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池田知正

いけだ ともまさ(1555-1604)
登場回数:1作

池田 知正(いけだ ともまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。摂津国豊島郡の国人。池田長正の二男。別名は勝重(かつしげ)、重成(しげなり)。通称は久左衛門(きゅうざえもん)。一時期、荒木村重の配下となり荒木久左衛門と称されていた。
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竹本正雅

たけもと まさつね(1825-1868)
登場回数:1作

竹本 正雅(たけもと まさつね、文政9年(1825年) - 明治元年10月7日(1868年11月20日))は、江戸時代末期(幕末期)の幕臣。甲斐守。
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中原親能

なかはら の ちかよし(1143-1209)
登場回数:2作

中原 親能(なかはら の ちかよし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての下級貴族、鎌倉幕府の文官御家人。十三人の合議制の一人。中原氏庶流貞親流の広季の実子または養子。弟に大江広元。 鎌倉幕府初代将軍源頼朝の側近であり、頼朝の代官として東西に奔走し、朝廷と幕府の折衝に努め、幕府の対公家交渉で大きな功績を果たした。また、大友氏が九州に確固たる地盤を築き上げることができたのも、その初代大友能直の養父である親能からの相続に起因しているという説がある。
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中村吉蔵

なかむら きちぞう(1877-1941)
登場回数:1作

中村 吉蔵(なかむら きちぞう、1877年5月15日 - 1941年12月24日)は、日本の劇作家、演劇研究家。文学博士。 島根県津和野生まれ。大阪に出て為替貯金管理所に勤めるかたわら、雑誌へ小説を投稿する。大阪で高須梅渓らと雑誌「よしあし草」を発行。23歳で上京し、東京専門学校(現・早稲田大学〉文学科に入学。在学中から春雨と号して「無花果」など多くの小説を発表。1903年で卒業(27歳)、同年結婚。 1906年からアメリカ、ドイツ等で留学し、雑誌記者や日本人倶楽部の文書係などをしながら、演劇を研究する。イプセンの影響を受けた。1909年12月に帰国。1910年、新社会劇「牧師の家」を発表し、新社会劇団を主宰し上演。のち、島村抱月の藝術座に参加し、「剃刀」など松井須磨子の当たり役となった戯曲を書く。1920年、史劇「井伊大老の死」を歌舞伎座で上演。同年イプセン会を主宰、日本へのイプセンの紹介に努めた。早稲田大学教授に就任し、演劇史を講じた。晩年は頭山満に親しんだ。 1942年に「日本戯曲技巧論」で文学博士号の授与が決まるも、それを待たずして亡くなった。
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中野能成

なかの よしなり(?-?)
登場回数:2作

中野 能成(なかの よしなり、生没年未詳(建長4年(1252年)〜同6年(1254年)の間に死亡)は、鎌倉時代前期の信濃国の武将。通称は右馬允、五郎。鎌倉幕府御家人。二代将軍源頼家の近習。本姓は藤原氏。父は藤原助弘であるが娘婿あるいは養子という説もある。
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朝比奈親徳

あさひな ちかのり(?-1566)
登場回数:1作

朝比奈 親徳(あさひな ちかのり)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。駿河朝比奈氏(丹波守家)2代当主。庵原城主。 なお、『寛永伝』では実名を元長と記すが、「元長」は彼の法名及び彼が開基となった菩提寺(元長寺)のことで、実名ではない。また、異説として、元長を息子の信置の初名とするものもある(「信置」は武田氏に臣従した後に武田信玄(晴信)から偏諱を受けて改名したとみられるため)。父とされる朝比奈俊永の事績も不明で、親徳が初代当主であったとする見方もある。
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長崎高資

ながさき たかすけ(?-1333)
登場回数:1作

長崎 高資(ながさき たかすけ)は、鎌倉時代末期の武士。北条氏得宗家の被官である御内人・内管領。長崎円喜の嫡男。鎌倉幕府の実権を握って父と共に権勢を振るった。
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