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菊王丸

きくおうまる(?-1185)
登場回数:1作

菊王丸(きくおうまる)は、『平家物語』に登場する平教経の童。 始め平通盛に仕えていたが、通盛の死後に弟である平教経に仕えた。屋島の戦い(元暦2年/寿永4年 (1185年)で佐藤忠信に腹巻を射抜かれ死亡したと伝わる。享年18(20という説もある)。死亡時には萌黄縅の腹巻、三枚甲、白柄の長刀を身に着けていたとされる。高松市屋島東町にある高松市立屋島東小学校北隣に菊王丸のものと伝わる墓が残されている。 菊王丸は以下の人物の幼名ともなっている。 北条氏尭(ほうじょう うじたか、大永2年(1522年) - 没年未詳4月8日) 太田氏房(おおた うじふさ、永禄8年(1565年) - 文禄元年4月28日(1592年6月7日))
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吉川元経

きっかわ もとつね(1459-1522)
登場回数:1作

吉川 元経(きっかわ もとつね)は、戦国時代の武将。安芸国国人・吉川氏13代当主。
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吉彦秀武

きみこ の ひでたけ(?-?)
登場回数:1作

吉彦 秀武(きみこ の ひでたけ、生没年不詳)は、平安時代後期の武将。出羽の豪族。父は吉美侯武宗、母は清原武頼女。妻は清原武則女。弟に吉彦武忠がいる。
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久保清太郎

くぼ せいたろう(1832-1878)
登場回数:1作

久保 清太郎(くぼ せいたろう、1832年12月29日(天保3年閏11月8日)- 1878年(明治11年)10月2日)は、幕末の長州藩士、明治期の官僚。名・久清、通称・清太郎、松太郎。明治2年(1869年)に断三と改める。号・淞東。
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京極高次

きょうごく たかつぐ(1563-1609)
登場回数:3作

京極 高次(きょうごく たかつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。若狭国小浜藩の初代藩主。
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橋本平左衛門

はしもと へいざえもん(1684-1701)
登場回数:3作

橋本 平左衛門(はしもと へいざえもん 貞享元年(1684年) - 元禄14年11月6日(1701年12月5日))は、江戸時代前期の武士。赤穂藩浅野氏の家臣。名は公之(きんゆき)。赤穂藩では馬廻り役100石。 橋本茂左衛門の子といわれる。『赤穂藩分限帳』(元禄13年頃)には馬廻り役百石橋本兵助(岡林直之組所属)とある。「兵助」は平左衛門の幼名だといわれるが、年齢的に父の可能性もある。 主君浅野長矩の刃傷後、当初から大石良雄に従ったが、赤穂城開城後に京都で暮らし、大坂曽根崎新地へ足を踏み入れ、淡路屋のお初という遊女と馴染みを重ねるようになり、元禄14年(1701年)11月6日の夜に心中した。享年18。『早見家文書』によれば、同じ岡林の組に属していた早水満尭が駆けつけて、一切の後始末をしたとしている。
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近衛宰子

このえ さいし(1241-?)
登場回数:1作

近衛 宰子(このえ さいし、仁治2年(1241年) - ?)は、鎌倉時代中期の公家女性。近衛兼経の娘。鎌倉幕府6代将軍宗尊親王の正室。7代将軍惟康親王・掄子女王の母。
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近藤正次

こんどう まさつぐ(?-1638)
登場回数:1作

近藤 正次(こんどう まさつぐ)は、戦国時代の武将、江戸幕府旗本。 井伊谷三人衆と呼ばれ後に井伊谷藩主となる近藤氏の傍流にあたる。代々松平・徳川氏に仕え、正次も父が仕えた徳川家康に仕える。天正18年(1590年)家康が関東に移封されると正次もそれに従い、武蔵国橘樹郡綱島に300石を知行し、18騎の頭に任じられる。天正19年(1591年)九戸政実の乱鎮圧に従軍。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは武功を上げ、永楽銭20貫と感状を賜わっている。慶長19年(1614年)と慶長20年(1615年)の大坂の陣にも従軍した。その後は将軍徳川家光の弟である徳川忠長の家臣に付けられる。寛永8年(1631年)以降に忠長が失脚すると、嫡子の正勝は家光に再度召し出されたが、自身は再仕官せずに余生を過ごした。
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金売吉次

かねうり きちじ(?-?)
登場回数:4作

金売吉次(かねうりきちじ)とは平安時代末期の商人。吉次信高、橘次末春とも称される。『平治物語』『平家物語』『義経記』『源平盛衰記』などに登場する伝説的人物。奥州で産出される金を京で商う事を生業としたとされ、源義経が奥州藤原氏を頼って奥州平泉に下るのを手助けしたとされる。
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具志頭朝盛

ぐしちゃん ちょうせい(1578-1610)
登場回数:1作

具志頭 朝盛(ぐしちゃん ちょうせい、万暦6年(1578年)5月20日 - 万暦38年(1610年)8月21日)は、琉球王国第二尚氏王統の摂政。尚維衡・浦添王子朝満を元祖とする向氏小禄御殿の四世で、唐名は尚宏、童名を思次郎金という。家譜や史書などで采地名の「具志頭」に接頭美称辞「大(読みはウフ)」を付して「大具志頭王子朝盛」と表記されることもある。7代尚寧王の弟。
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