偉人

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荒木田守武

あらきだ もりたけ(1473-1549)
登場回数:1作

荒木田 守武(あらきだ もりたけ、文明5年(1473年) - 天文18年8月8日(1549年8月30日))は、戦国時代の伊勢神宮祠官・連歌師。荒木田一門薗田氏の出身で、父は荒木田守秀、母は荒木田(藤波)氏経の娘。荒木田守晨の弟。山崎宗鑑とともに俳諧の祖とも言われている。通称は中川平太夫と言った。77歳で病没。 1541年(天文10年)一禰宜となると当時流行していた連歌を三条西実隆に師事し、宗祇・宗長と交流があった。「新撰菟玖波集」に入集1句をはじめ、「法楽発句集」(1508年/永正5年)などの連歌集、「独吟百韻」(1530年/享禄3年)、「守武千句」(1540年/天文9年)などの俳諧集、教訓歌集「世中百首」(1525年/大永5年)などを残した。
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高橋興光

たかはし おきみつ(1503-1529)
登場回数:1作

高橋 興光(たかはし おきみつ)は、戦国時代の武将。安芸国・石見国国人である石見高橋氏の当主。高橋久光の次男である高橋弘厚の子とされるが、高橋氏の系図については異説も多く、以下の記述も確定的なものではない。
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高杉小忠太

たかすぎ こちゅうた(1814-1891)
登場回数:2作

高杉 小忠太(たかすぎ こちゅうた)は、江戸時代末期(幕末)の武士(長州藩士)。家格は大組士。諱は春樹。高杉晋作の父である。 幕末の武鑑では萩藩側用人の欄に「高杉小忠太」とある。
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国司元相

くにし もとすけ(1492-1592)
登場回数:1作

国司 元相(くにし もとすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。
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黒田利高

くろだ としたか(1554-1596)
登場回数:1作

黒田 利高(くろだ としたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。黒田氏の家臣。黒田二十四騎、黒田八虎の筆頭。
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今村正実

いまむら まさざね(?-1582)
登場回数:1作

今村 正実(いまむら まさざね)は、戦国時代の武将。遠江国引佐郡井伊谷の人。
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佐々木秀義

ささき ひでよし(1112-1184)
登場回数:3作

佐々木 秀義(ささき ひでよし)は、平安時代末期の武将。源頼朝の挙兵を助けた佐々木四兄弟の父。
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佐川官兵衛

さがわ かんべえ(1831-1877)
登場回数:1作
別名:佐川直清

佐川 官兵衛(さがわ かんべえ)は、幕末の会津藩士。明治時代の警察官。字は勝、諱は直清。
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佐野竹之介

さの たけのすけ(1839-1860)
登場回数:1作

佐野 竹之介(さの たけのすけ、天保10年(1839年) - 安政7年3月3日(1860年3月24日))は、江戸時代末期(幕末)の水戸藩士。桜田門外の変で井伊直弼襲撃に携わった桜田十八士の一人。名は光明。通称は竹之助とも。変名に海野慎八、佐藤武兵衛がある。父は佐野光誠。山川菊栄によると藩内でも評判の暴れ者で大男だが剣術は未熟だったとされる。 安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変で大老・井伊直弼の襲撃に参加した際に重傷を負い、老中・脇坂安宅の屋敷に自首した後、同日中に死去した。享年22。 明治35年(1902年)、正五位を追贈された。
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斎藤実

さいとう まこと(1858-1936)
登場回数:1作

斎藤 実(さいとう まこと、旧字体:齋藤 實、1858年12月2日〈安政5年10月27日〉- 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。出生時の名前は富五郎(とみごろう)といったが、海軍兵学校卒業後に改名した。号は皋水(こうすい)。 第一次西園寺・第二次桂・第二次西園寺・第三次桂・第一次山本の5内閣で海軍大臣を務めた後、シーメンス汚職事件により大臣を引責辞任した。その後、ジュネーブ海軍軍縮会議の主席全権を務め、朝鮮総督を2期務めているあいだに、子爵を授爵。 総理大臣であった犬養毅が海軍将校らによって殺害された五・一五事件のあとの第30代内閣総理大臣として、陸軍関東軍による前年からの満州事変など混迷した政局に対処し、満州国を認めなかった国際連盟を脱退しながらも、2年1か月という当時としては長い政権を保ったが、帝人事件での政府批判の高まりにより内閣総辞職した。その後内大臣となって宮中にまわったが、直後に二・二六事件で暗殺された。
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