偉人

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堀田興重

ほった おきしげ(?-1615)
登場回数:1作
別名:堀田作兵衛

堀田 興重(ほった おきしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての人物。通称は作兵衛。
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本間高統

ほんま たかつな(1551-1589)
登場回数:1作

本間 高統(ほんま たかつな、天文20年(1551年) - 天正17年6月2日(1589年7月14日))は、戦国時代の佐渡国の武将。佐渡河原田城主。本間貞兼の子。通称・近江守、山城守、佐渡守。名は高綱・高続とも。また家名をとって河原田高統ともいう。 佐渡国内を大部分を支配した河原田本間氏の当主。他の本間家を糾合して越後国の上杉氏に反発と和睦を繰り返し独立勢力としていた。天正12年(1584年)には来襲した藤田信吉を破っている。 天正12年(1584年)同じく佐渡南部で勢力を持っていた羽茂本間氏と対立。その際は上杉景勝によって派遣された後藤勝元の仲裁で和するが、間もなく決裂。羽茂本間高季との内乱に発展する。しかしこの内乱を平定するという名目で、天正17年(1589年)6月、一部の本間氏と結託した景勝が来襲する。この強襲に際し、高統は河原田城に篭って抵抗するも、城は落城し、自身も嫡男・統之とともに自害した。 墓所は佐渡市の本田寺。一子の高応が家臣・磯田徳兵衛の働きにより会津へ脱出しており、家名断絶には至らなかった。
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本多忠勝

ほんだ ただかつ(1548-1610)
登場回数:13作
別名:本多平八郎

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。 徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。
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箕作阮甫

みつくり げんぽ(1799-1863)
登場回数:1作

箕作 阮甫(みつくり げんぽ、寛政11年9月7日(1799年10月5日) - 文久3年6月17日(1863年8月1日))は、日本の武士・津山藩士、蘭学者である。名は貞一、虔儒。字は痒西、号は紫川、逢谷。
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明石全登

あかし たけのり(?-1618)
登場回数:4作

明石 全登(あかし てるずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。宇喜多氏の家臣。 全登を「ぜんとう」と音読みで読むのは法号と解釈してで、霊名からの当て字で「じゅすと」と読むとする説もある。全登を諱と解釈して訓読みする場合では、『翁草』は「たけのり」と傍訓を施しており、他にも「いえのり」や「なりとよ」と訓を施す書籍もある。「てるずみ」は『日本人名大辞典』に従った。諱は、全登以外にも、景盛(かげもり)や守重(もりしげ)など複数伝わり、定かではない。通称は掃部(かもん)で、明石掃部とも言う。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタン武将でもあった。
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毛利元就

もうり もとなり(1497-1571)
登場回数:1作

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将、大名。中国地方の戦国大名。毛利氏の第12代当主。安芸吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏。家紋は一文字三星紋。   用意周到かつ合理的な策略および危険を顧みない駆け引きで、自軍を勝利へ導く策略家として知られ、軍略・政略・謀略と、あらゆる手段を弄して一代のうちに一国人領主から芸備防長雲石の六ケ国を支配する太守へとのし上がった。子孫は長州藩の藩主となったことから、同藩の始祖としても位置づけられている。
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毛利良勝

もうり よしかつ(?-1582)
登場回数:6作
別名:毛利新介

毛利 良勝(もうり よしかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。通称は新介、後に新左衛門。
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木村清久

きむら きよひさ(?-1615)
登場回数:1作

木村 清久(きむら きよひさ、? - 慶長20年(1615年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。豊臣氏の家臣。木村吉清の子。キリシタンで洗礼名はジョアン。
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弥助

やすけ(?-?)
登場回数:3作

弥助(やすけ、生没年不詳)は、戦国時代の日本に渡来した黒人。宣教師の護衛、従者、または奴隷として戦国大名・織田信長に謁見し、気に入られたことで彼の家臣として召し抱えられた。
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柳生宗厳

やぎゅう むねよし(1527-1606)
登場回数:2作
別名:柳生石舟斎/柳生新左衛門

柳生 宗厳(やぎゅう むねよし/むねとし/そうごん、宗嚴)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。新陰流の兵法家。柳生家厳の子。百官名は但馬守。諱は宗厳。通称は新介、新次郎、新左衛門、右衛門。入道してからは石舟斎と号した。子に柳生厳勝(柳生利厳の父)、柳生宗矩、柳生宗章ほか。
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