偉人

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覚猷

かくゆう(1053-1140)
登場回数:1作

覚猷(かくゆう、天喜元年(1053年) - 保延6年9月15日(1140年10月27日))は、平安時代後期の天台僧。鳥羽僧正(とばそうじょう)と世に呼ばれ、日本仏教界の重職を務めた高僧であるのみならず、絵画にも精通し、鳥獣人物戯画などの作者に擬せられている。そのユニークでユーモアあふれる作風から、漫画の始祖とされることもある。
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蒲生秀行

がもう ひでゆき(1583-1612)
登場回数:1作

蒲生 秀行(がもう ひでゆき)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名。陸奥会津藩主。
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甘利虎泰

あまり とらやす(1498-1548)
登場回数:3作

甘利 虎泰(あまり とらやす)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で譜代家老。後代には武田二十四将、信虎時代の武田四天王の一人とされる。 甘利氏は甲斐源氏・一条忠頼の流れをくむ武田氏の庶流にあたる一族。平安時代後期には甘利荘が設置された、甲斐国巨摩郡甘利郷を領していたと考えられている。
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岸信介

きし のぶすけ(1896-1987)
登場回数:1作

岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第56・57代)、皇學館大学総長 (第2代) などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。
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岩本孫右衛門

いわもと まごえもん(1597-1668)
登場回数:1作

岩本 孫右衛門(いわもと まごえもん、慶長2年(1597年) - 寛文8年6月24日(1668年8月1日))は、荒木又右衛門の門人で「鍵屋の辻の決闘」で師に従い参加。名は政利(まさとし)。 慶長2年、因幡国高草郡岩井郷岩本村(現 鳥取市金沢)に生まれる。岩本家九代隠の家譜(鳥取県立博物館 蔵)によると、その先祖は雲州尼子家臣山中鹿之助組下の酒井孫六。孫六は因幡国葛尾城にて討死、子孫は前述岩本村にて農業に従事していた。その末裔の孫右衛門が倅六助を連れて、大和郡山の荒木又右衛門に弟子入りした。渡辺数馬の「仇討」に加わったのは父の名を継いだ倅の六助である。諸説あるが、この時は森姓を名乗っていたようである。後に渡辺家が美田姓になったように、寛永15年9月24日鳥取藩に直参として五人扶持を支給されたとき岩本姓を名乗ったようである。改名の理由は旗本らの追及を逃れるためとも言われている。孫右衛門は同年12月10日に三十俵を支給され、慶安元年(1648年)中小姓となり二十俵を加増されている。なお鳥取藩には養子をとると「養子減り」という禄高を減ぜられる制度があるが、「渡辺数馬家筋」として「養子減り」を免ぜられている。 子孫では五代平六(有賓)が詩をよくしたと「鳥取藩史第1巻・藩士列伝1」に記載がある。九代隠(孫右衛門政勝)は鳥取藩陸軍奉行を務め、その時廃藩を迎えた。十代芳八は私立鳥取女学校の創立者(明治39年4月24日の「鳥取新報」に記載あり)。 墓は鳥取市寺町光明寺にある。十二代が神奈川県横須賀市、十三代が北九州市に暮らしている。
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亀井秀綱

かめい ひでつな(?-?)
登場回数:1作

亀井 秀綱(かめい ひでつな)は、戦国時代の武将。出雲国の戦国大名尼子氏の家臣。
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菊姫

きくひめ(1558-1604)
登場回数:2作
別名:阿菊御料人/大儀院

菊姫(きくひめ、永禄元年(1558年) - 慶長9年2月16日(1604年3月16日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。武田信玄の五女。母は油川夫人。上杉景勝の正室。別名に阿菊御料人、甲斐御前。院号は大儀院。実子なし。
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吉川元長

きっかわ もとなが(1548-1587)
登場回数:3作

吉川 元長(きっかわ もとなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣で吉川氏当主。父は吉川元春。
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吉良義央

きら よしひさ(1641-1703)
登場回数:5作
別名:吉良上野介

吉良 義央(きら よしひさ/よしなかは、江戸時代前期の高家旗本(高家肝煎)。元禄赤穂事件の中心人物の一人として著名。題材をとった創作作品『忠臣蔵』では敵役として描かれる場合が多い。幼名は三郎、通称は左近。従四位上・左近衛権少将、上野介(こうずけのすけ)。一般的には吉良上野介と呼ばれる。
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久邇宮朝彦親王

くにのみや あさひこしんのう(1824-1891)
登場回数:8作
別名:中川宮/中川宮朝彦親王

久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう、文政7年1月28日(1824年2月27日) - 明治24年(1891年)10月25日 )は、日本の皇族。伏見宮邦家親王の第4王子。通称に中川宮(なかがわのみや)他多数。諱もたびたび改名している。香淳皇后(昭和天皇后)の祖父であり、第125代天皇・明仁(上皇)の曽祖父、第126代天皇・徳仁(今上天皇)の高祖父にあたる。北朝第3代崇光天皇の男系15世子孫。
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