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伊和員経

いわ の かずつね(?-?)
登場回数:1作

伊和 員経(伊和員經・いわ の かずつね 生没年不詳)は、平安時代中期の武将平将門の従者。『将門記』には「内竪伊和員経」とある。「内竪」とは「小姓」のことである。
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井手友氏

いで ともうじ(1538-1569)
登場回数:1作

井手 友氏(いで ともうじ)は、戦国時代の武将。
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郁姫

いくひめ(1807-1850)
登場回数:1作

郁姫(いくひめ、文化4年3月5日(1807年3月29日) - 嘉永3年3月29日(1850年5月10日))は、五摂家筆頭の近衛家当主で関白・近衛忠熙の正室。別名興子。子は近衛忠房、常磐井堯熙、水谷川忠起。近衛文麿、近衛秀麿は曾孫、細川護熙、近衛忠煇は来孫にあたる。
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一色義秀

いっしき よしひで(?-1498)
登場回数:1作

一色 義秀(いっしき よしひで)は、室町時代後期から戦国時代前期にかけての守護大名。
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稲葉正巳

いなば まさみ(1815-1879)
登場回数:2作

稲葉 正巳(いなば まさみ)は、江戸時代後期から末期の大名。安房館山藩第4代藩主。3代藩主稲葉正盛の長男。
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烏丸光広

からすまる みつひろ(1579-1638)
登場回数:2作

烏丸 光広(からすまる みつひろ)は、江戸時代前期の公卿・歌人・能書家。准大臣烏丸光宣の長男。官位は正二位権大納言。細川幽斎から古今伝授を受けて二条派歌学を究め、歌道の復興に力を注いだ。
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永井尚志

ながい なおゆき(1816-1891)
登場回数:7作
別名:松平岩之丞/永井岩之丞

永井 尚志(ながい なおゆき/ながい なおむね)は、幕末の武士(旗本)。昭和時代の作家・三島由紀夫の父方の高祖父にあたる。
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榎本武揚

えのもと たけあき(1836-1908)
登場回数:7作
別名:夏木金八/榎本釜次郎

榎本 武揚(えのもと たけあき、1836年10月5日〈天保7年8月25日〉 - 1908年〈明治41年〉10月26日)は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治の武士(幕臣)、政治家、外交官。最終階級は海軍中将。栄典は正二位勲一等子爵。通称は釜次郎(かまじろう)、号は梁川(りょうせん)。榎、釜を分解した「夏木 金八(なつき きんぱち)」という変名も使用していた。俗に「ぶよう」と呼ばれることもあった 。 伊能忠敬の元弟子であった幕臣榎本武規(箱田良助)の次男として生まれる。昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学した。帰国後、幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、蝦夷共和国の総裁となる。箱館戦争で敗北し降伏後、東京の牢獄に2年半投獄されたが、敵将黒田清隆の尽力により助命され、釈放後明治政府に仕えた。開拓使で北海道の資源調査を行い、駐露特命全権公使として樺太千島交換条約を締結したほか、外務大臣、海軍卿、駐清特命全権公使を務め、内閣制度開始後は、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任、子爵となった。また、殖民協会を創立し、メキシコに殖民団を送ったほか、東京農業大学の前身である徳川育英会育英黌農業科や、東京地学協会、電気学会など数多くの団体を創設した。
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於フ子

おふね(?-1553)
登場回数:1作

於フ子(おふね、生年不詳 - 天文22年(1553年))は、戦国時代の女性。高梨澄頼の娘。村上義清の側室。
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横井時雄

よこい ときお(1857-1927)
登場回数:1作
別名:伊勢時雄

横井 時雄(よこい ときお、安政4年10月17日(1857年12月3日) - 昭和2年(1927年)9月13日)は、日本の牧師、ジャーナリスト、編集者、元逓信官僚、元衆議院議員、同志社第3代社長(現・総長)。一時期、伊勢時雄を名のる。父は幕末期に活躍した儒学者の横井小楠。
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