偉人

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京極持清

きょうごく もちきよ(1407-1470)
登場回数:1作

京極 持清(きょうごく もちきよ)は、室町時代中期から後期の武将、守護大名。室町幕府侍所頭人兼山城守護、出雲・隠岐・飛騨・近江守護。京極高光の次男。兄弟に持高、細川持之室。子に勝秀、政光、政経、娘(畠山政長室)。細川勝元は甥にあたる。官位は従四位上・中務少輔、大膳大夫。
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興世王

おきよおう(?-940)
登場回数:1作

興世王(おきよおう/おきよのおほきみ 生年不詳 - 天慶3年2月19日(940年3月30日))は、平安時代中期の皇族。承平天慶の乱の首謀者の一人。官位は従五位下武蔵権守。挙兵後新皇を名乗った平将門から上総介に任じられるが、これは正規の官職ではない。
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近衛信尹

このえ のぶただ(1565-1614)
登場回数:2作

近衛 信尹(このえ のぶただ、旧字:近衞信尹)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿。太政大臣・近衛前久の子。官位は従一位・関白、准三宮、左大臣。近衛家18代当主。号は三藐院(さんみゃくいん)。本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」とよばれる。初名に信基、信輔。
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近藤勇

こんどう いさみ(1834-1868)
登場回数:9作

近藤 勇(こんどう いさみ)は、江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜(まさよし)という。慶応4年(1868年)からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流四代目宗家。
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金輪五郎

かなわ ごろう(1833-1870)
登場回数:1作

金輪 五郎(かなわ ごろう、1833年(天保4年)- 1870年1月30日(明治2年12月29日))は、出羽国出身の幕末の武士。本名は志渡長治友行。 久保田藩の家老渋江厚光に奉公し、脱藩して薩摩藩による江戸市中の攪乱活動に参加後、鳥羽・伏見の戦いでは薩摩藩とともに参戦。さらに相楽総三の赤報隊に参加する。赤報隊の難を逃れた後は、秋田に帰郷し秋田戦争では澤為量の従者となり、深浦で庄内藩の新式銃200丁を積んだ船を鹵獲し、南部藩との戦いでマタギ隊の隊長を務める。戊辰戦争終結後に大村益次郎暗殺に参加し、その容疑で敦賀で捕らえられ、1870年1月(明治2年12月)に京都で処刑された(数え年37歳)。
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櫛橋伊定

くしはし これさだ(1522-1573)
登場回数:1作

櫛橋 伊定(くしはし これさだ)は、戦国時代の武将。播磨国志方城主。
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桑折宗長

こおり むねなが(1532-1601)
登場回数:1作

桑折 宗長(こおり むねなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。伊達氏の重臣。伊達輝宗、政宗に仕えた。
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月形潔

つきがた きよし(1847-1894)
登場回数:1作

月形 潔(つきがた きよし、弘化4年6月27日(1847年8月7日) - 明治27年(1894年)1月8日)は、江戸時代末期の福岡藩士、明治時代の官僚。北海道樺戸集治監典獄、樺戸・雨竜・上川三郡郡長として北海道開拓に携わる。樺戸郡月形町の町名は彼の姓に由来している。
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原昌胤

はら まさたね(1531-1575)
登場回数:1作
別名:原昌勝

原 昌胤(はら まさたね)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。武田二十四将の一人。
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源雅定

みなもと の まささだ(1094-1162)
登場回数:1作

源 雅定(みなもと の まささだ)は、平安時代後期の公卿・歌人。村上源氏、太政大臣・源雅実の次男。官位は正二位・右大臣、左近衛大将。中院右大臣と号す。久我家2代。
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