偉人

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源実朝

みなもと の さねとも(1192-1219)
登場回数:2作
別名:千幡

源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。 鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。 歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。
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源頼朝

みなもと の よりとも(1147-1199)
登場回数:7作

源 頼朝(みなもと の よりとも、旧字体:源 賴朝)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の武将、政治家。鎌倉幕府初代征夷大将軍。
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戸田忠真

とだ ただざね(1651-1729)
登場回数:1作

戸田 忠真(とだ ただざね)は、江戸時代中期の大名、老中。下総佐倉藩主、越後高田藩主、下野宇都宮藩主。宇都宮藩戸田家4代。父は老中で佐倉藩主戸田忠昌、母は秋元富朝の娘。同じく老中の秋元喬知は兄に当たる。
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後土御門天皇

ごつちみかどてんのう(1442-1500)
登場回数:2作
別名:成仁

後土御門天皇(ごつちみかどてんのう、1442年7月3日〈嘉吉2年5月25日〉- 1500年10月21日〈明応9年9月28日〉)は、日本の第103代天皇(在位:1464年8月21日〈寛正5年7月19日〉- 1500年10月21日〈明応9年9月28日〉)。諱は成仁(ふさひと)。
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公弁法親王

こうべんほっしんのう(1669-1716)
登場回数:2作

公弁法親王(こうべんほっしんのう、寛文9年8月21日(1669年9月16日) - 正徳6年4月17日(1716年6月6日))は、江戸時代の天台宗僧侶。後西天皇の第6皇子、幼名は貴宮、諱は秀憲。出家後、親王宣下を受け法親王となる。 毘沙門堂門跡のほか日光山(東照宮、輪王寺門跡)、東叡山寛永寺貫首、東叡山輪王寺門跡、比叡山延暦寺天台座主を兼任した。一品、准三宮。号は脩礼、玄堂。隠居後は大明院と称した。 狩野常信に書を学び能筆家としても知られる。
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恒良親王

つねよししんのう(1325-1346)
登場回数:1作

恒良親王(つねよししんのう)は、後醍醐天皇の皇子・皇太子。母は後醍醐の寵姫阿野廉子。成良親王、義良親王(後村上天皇)の同母兄。日本最後の伊勢神宮斎宮祥子内親王の同母弟。後醍醐天皇と足利尊氏との内戦の中で、一時的に天皇となる。
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香の前

こうのまえ(1577-1641)
登場回数:1作

香の前(こうのまえ、天正5年(1577年) - 寛永17年12月2日(1641年1月13日)は、戦国時代から江戸時代初頭にかけての女性。香の前は通称で、名は種。豊臣秀吉・伊達政宗の愛妾で、のちに茂庭綱元の側室となった。
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高橋成夫

たかはし しげお(1912-1990)
登場回数:1作

高橋 成夫(たかはし しげお、1912年3月29日 - 1990年11月4日)は、日本の水泳選手。実業家としては浅間善次郎の名で知られる。
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高瀬姫

たかせひめ(?-1634)
登場回数:1作
別名:春光院

高瀬姫(たかせひめ、? - 寛永11年8月11日(1634年10月2日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。遠江国引佐郡井伊谷の領主・井伊直親の娘。井伊直政の異母姉。
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国貞廉平

くにさだ れんぺい(1841-1885)
登場回数:1作

国貞 廉平(くにさだ れんぺい、1841年5月12日〈天保12年3月22日〉 - 1885年〈明治18年〉1月18日)は、日本の武士(長州藩士)、官僚。愛知県令。諱・景孝、景廉、景行。通称・鶴之進、直之進、直人、晩年には廉平。変名・逸水清助。雅号・韓山。
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