偉人

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武田義信

たけだ よしのぶ(1538-1567)
登場回数:4作
別名:太郎

武田 義信(たけだ よしのぶ)は、戦国時代の武将。甲斐の戦国大名・武田信玄の嫡男で武田氏を嗣ぐはずであったが、信玄への謀反の疑いから廃嫡された。
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伏見広綱

ふしみ ひろつな(?-?)
登場回数:1作

伏見 広綱(ふしみ ひろつな)は、平安時代末期の人物。源頼朝の右筆。伏見冠者藤原広綱と呼ばれる。
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福原信冬

ふくばら のぶふゆ(1837-1864)
登場回数:1作

福原 信冬(ふくばら のぶふゆ、天保8年9月26日(1837年10月25日) - 文久3年11月25日(1864年1月4日))は、幕末の長州藩士、志士。一般的には福原乙之進の名で知られる。別名に大江信冬、変名に長原美禰介。
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平維盛

たいら の これもり(1159-1184)
登場回数:5作

平 維盛(たいら の これもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の嫡子平重盛の嫡男。 美貌の貴公子として宮廷にある時には「光源氏の再来」と称された。治承・寿永の乱において大将軍として出陣するが、富士川の戦いで敗北し、倶利伽羅峠の戦いでは壊滅的な敗北を喫する。父の早世もあって一門の中では孤立気味であり、平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水したとされている。
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平経盛

たいら の つねもり(1124-1185)
登場回数:2作

平 経盛(たいら の つねもり)は、平安時代末期の平家の武将。平忠盛の三男。平清盛の異母弟。平敦盛らの父。
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平宗清

たいら の むねきよ(?-?)
登場回数:2作

平 宗清(たいら の むねきよ)は、平安時代後期の武将。伊勢平氏の傍流、平季宗の子。
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平盛嗣

たいら の もりつぐ(?-1194)
登場回数:1作

平 盛嗣(たいら の もりつぐ)は、平安時代末期の平家方の武将。平盛俊の次男。父同様平家の郎党として勇名を馳せた。
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平徳子

たいら の とくし(1155-1214)
登場回数:5作

平 徳子(たいら の とくし/のりこ、1155年〈久寿2年〉- 1214年1月25日〈建保元年12月13日〉)は、日本の第80代天皇・高倉天皇の皇后(中宮)。女院。院号は建礼門院(けんれいもんいん)。 安徳天皇の母(国母)。父は平清盛、母は平時子。異母兄に重盛、基盛。同母兄弟に宗盛、知盛、重衡がいる。 清盛と後白河法皇の政治的協調のため、高倉天皇に入内して第一皇子・言仁親王(後の安徳天皇)を産む。安徳天皇の即位後は国母となるが、高倉上皇と清盛が相次いで没し、木曾義仲の攻撃により都を追われ、壇ノ浦の戦いで安徳天皇・時子は入水、平氏一門は滅亡する。徳子は生き残り京へ送還されて出家、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔った。 『平家物語』「灌頂巻」では大原を訪れた後白河法皇に自らの人生を語り、全巻の幕引き役となっている。
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別所重宗

べっしょ しげむね(1529-1591)
登場回数:1作
別名:別所重棟

別所 重宗(べっしょ しげむね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。名は重棟(読み同じ)とも。
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保科正之

ほしな まさゆき(1611-1673)
登場回数:3作

保科 正之(ほしな まさゆき)は、江戸時代前期の大名。会津松平家初代。信濃国高遠藩主、出羽国山形藩主を経て、陸奥国会津藩初代藩主。江戸幕府初代将軍徳川家康の孫、二代将軍秀忠の子にあたる。3代将軍・徳川家光の異母弟で、家光と4代将軍・家綱を輔佐し、幕閣に重きをなした。将軍の「ご落胤」でもある。
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