偉人

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東郷いせ

とうごう いせ(1923-1997)
登場回数:1作

東郷 いせ(とうごう いせ、1923年(大正12年)8月14日 – 1997年(平成9年)7月31日)は日本の外交官東郷茂徳の娘、同じく外交官東郷文彦の妻。父・夫に従い欧米・アジア各国に駐在・訪問し、社交活動に関わった。ブータンに入国した最初の日本人女性とされる。
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ジョセフ・グルー

じょせふ・ぐるー(1880-1965)
登場回数:1作

ジョセフ・クラーク・グルー(Joseph Clark Grew、1880年5月27日 - 1965年5月25日)は、アメリカ合衆国の外交官。日米開戦時の駐日アメリカ合衆国大使。 日米開戦回避に努めた。開戦(1941年12月)後日本国内に抑留され、日本の外交官との交換により帰国(1942年6月)。帰国後は国務次官となり、占領政策立案・終戦交渉に尽力した。終戦と同時に国務次官を辞任し、私人として講演活動などを通じ、日米両国の親善に尽した。吉田茂は、グルーは「本当の意味の知日家で、『真の日本の友』であった」と高く評価した 他方、グルーの日本理解には限界があった、あるいは彼は政治的にきわめて保守的であったことを指摘する見方もある。
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肥田浜五郎

ひだ はまごろう(1830-1889)
登場回数:1作

肥田 浜五郎(ひだ はまごろう、文政13年1月28日(1830年2月21日) - 明治22年(1889年)4月28日)は、豆州肥田氏の末裔で幕末期の幕臣、技術者、明治期の官僚。長崎海軍伝習所第二期生。諱は為良(ためよし)。
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穂積陳重

ほづみ のぶしげ(1855-1926)
登場回数:1作
別名:入江陳重

穂積 陳重(ほづみ のぶしげ、入江陳重、いりえ のぶしげ、1855年8月23日(安政2年7月11日) - 1926年(大正15年)4月7日)は、明治から大正期の日本の法学者。日本初の法学博士の一人。東京帝国大学法学部学部長。英吉利法律学校(中央大学の前身)の創立者の一人。貴族院議員(勅選)。男爵。枢密院議長。勲一等旭日桐花大綬章。現在の愛媛県宇和島市出身。
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徳川慶久

とくがわ よしひさ(1884-1922)
登場回数:1作
別名:徳川久

德川 慶久(とくがわ よしひさ、1884年(明治17年)9月2日 - 1922年(大正11年)1月22日)は、日本の政治家。爵位は公爵。周囲の人々からは「けいきゅう様」と呼ばれ親しまれていたという。新字体で徳川慶久とも表記される。 貴族院議員、第一銀行取締役、華族世襲財産審議会議長などを歴任した。
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ウィリアム・タフト

うぃりあむ・たふと(1857-1930)
登場回数:1作

ウィリアム・ハワード・タフトは、アメリカ合衆国の政治家、法律家。第27代アメリカ合衆国大統領及び第10代アメリカ合衆国最高裁判所長官を歴任した。同国で大統領を退任した後に再び連邦の公職に就いた数少ない大統領の一人であり、行政府と司法府の双方の長を務めた唯一の人物でもある。
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徳川慶壽

とくがわ よしひさ(1823-1847)
登場回数:1作

徳川 慶壽(とくがわ よしひさ)は、江戸時代後期の御三卿・一橋徳川家の7代当主。 文政6年(1823年)3月4日、田安徳川家当主・徳川斉匡の五男として生まれる。官位は従三位左近衛権中将、民部卿、参議、贈権中納言。天保9年(1838年)5月25日、先代当主・徳川慶昌が死去して明屋敷となっていた一橋徳川家の家督を継承する。同年9月5日に元服し、将軍徳川家慶から偏諱を受けて慶壽と名乗り、従三位左近衛権中将に叙される。 天保12年(1841年)12月2日に貞敬親王の王女・東明宮直子と婚姻する。弘化3年(1846年)12月1日に参議に任じられた。 弘化4年(1847年)5月7日、25歳で死去した。法号は承休院。嘉永6年(1853年)2月10日に権中納言が追贈された。 嗣子がなかったため、尾張藩主・徳川斉荘(元は斉匡の養子で田安家当主、血縁上は慶壽の従兄)の長男・昌丸を末期養子として跡を継がせた。
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緒方惟準

おがた これよし(1843-1909)
登場回数:1作

緒方 惟準(おがた これよし、天保14年8月1日(1843年8月25日) - 明治42年(1909年)7月20日)は、日本の医師、陸軍軍医。緒方洪庵の次男。幼名平三、のちに章、洪哉、字は子縄、通称は洪斎、号は蘭洲
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伊集院須磨

いじゅういん すま(1821-1870)
登場回数:3作
別名:須満/寿満

伊集院 須磨(いじゅういん すま、文政4年(1821年)- 明治3年3月24日(1870年4月24日))[1]は、薩摩藩主・島津斉彬の側室。出自は不明で、養父は薩摩藩士・伊集院兼珍。名は須満、寿満とも書く。
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岡本重之

おかもと しげゆき(1651-1711)
登場回数:1作
別名:岡本次郎左衛門

岡本 重之 (おかもと しげゆき、慶安4年(1651年) - 宝永8年2月20日(1711年4月7日))は、江戸時代前期の武士。赤穂藩浅野氏の家臣。大阪留守居役400石。
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