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一条長成

いちじょう ながなり(?-?)
登場回数:4作

一条 長成(いちじょう ながなり)は、平安時代後期の貴族。藤原北家中関白家、参議・藤原忠能の次男。官位は正四位下・大蔵卿。邸宅が一条大路沿いにあったことから一条大蔵卿と号した。
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稲葉正勝

いなば まさかつ(1597-1634)
登場回数:2作

稲葉 正勝(いなば まさかつ)は、江戸時代前期の大名・老中。常陸国柿岡藩主、下野国真岡藩2代藩主、相模国小田原藩初代藩主。正成系稲葉家宗家2代。母は春日局(斎藤利三の娘)。甥に堀田正盛。
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宇佐美定満

うさみ さだみつ(1489-1564)
登場回数:4作

宇佐美 定満(うさみ さだみつ)は、戦国時代の武将。越後国(現在の新潟県)において琵琶島城(新潟県柏崎市)に勢力を持っていたとされる武将。軍記物語では上杉謙信の軍師という扱いを受けているが確実な史料からはその事実は確認されていない。 軍記物等で上杉謙信の軍師として登場する宇佐美定行のモデルとされる。
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雲光院

うんこういん(1555-1637)
登場回数:8作
別名:須和/阿茶局

雲光院(うんこういん、弘治元年2月13日(1555年3月16日)-寛永14年1月22日(1637年2月16日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。徳川家康の側室。名は須和。号は阿茶局、雲光院、民部卿、一位局、一位尼。父は飯田直政(久左衛門・筑後守とも)。実子として神尾守世、神尾守繁、養子として神尾元勝、菊姫がいる。
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英一蝶

はなぶさ いっちょう(1652-1724)
登場回数:1作

英 一蝶(はなぶさ いっちょう、承応元年(1652年) - 享保9年1月13日(1724年2月7日))は、日本の江戸時代中期(元禄期)の画家、芸人。本姓は藤原、多賀氏、諱を安雄(やすかつ?)、後に信香(のぶか)。字は君受(くんじゅ)。幼名は猪三郎(ゐさぶらう)、次右衛門(じゑもん)、助之進(すけのしん)(もしくは、助之丞(すけのじょう))。剃髪後に多賀朝湖(たがちょうこ)と名乗るようになった。俳号は「暁雲(ぎょううん)」「狂雲堂(きょううんだう)」「夕寥(せきりょう)」。 名を英一蝶、画号を北窓翁(ほくそうおう)に改めたのは晩年になってからであるが、本項では「一蝶」で統一する。尚、画号は他に翠蓑翁(すいさおう)、隣樵庵(りょうしょうあん)、牛麻呂、一峰、旧草堂、狩林斎、六巣閑雲などがある。
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遠藤直経

えんどう なおつね(1531-1570)
登場回数:3作

遠藤 直経(えんどう なおつね)は、戦国時代の武将。浅井長政の家臣。諱は直経、通称は喜右衛門(きえもん)だが、喜左衛門 直経と読める花押も残っている。史料はほとんど存在しないが、軍記物や講談等では遠藤喜右衛門の名で登場して、知勇兼備の謀将として知られる。
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奥平貞治

おくだいら さだはる(?-1600)
登場回数:1作

奥平 貞治(おくだいら さだはる、生年不詳 - 慶長5年9月15日(1600年10月21日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。奥平貞勝(道文入道)の子。奥平貞能の弟(異母弟と考えられる)。幼名、清三郎。通称、藤兵衛。
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岡田以蔵

おかだ いぞう(1838-1865)
登場回数:4作

岡田 以蔵(おかだ いぞう)は、江戸時代末期の土佐藩郷士。諱は宜振(読みについては「よしふる」の他「たかのぶ」、「のぶたつ」等諸説あり不明)。幕末の四大人斬りの一人。
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岡野包秀

おかの かねひで(1680-1703)
登場回数:3作
別名:岡野金右衛門

岡野 包秀 (おかの かねひで、延宝8年(1680年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。岡野包住の子。通称は金右衛門(きんえもん)。本姓は藤原氏。家紋は釘貫。美男子と伝わり、吉良邸絵図面をめぐるお艶との恋愛の逸話で知られる。
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加藤清忠

かとう きよただ(1526-1564)
登場回数:1作

加藤 清忠(かとう きよただ、大永6年(1526年)‐ 永禄7年(1564年))は、戦国時代の人物。通称は正左衛門、右衛門兵衛。加藤清信の子、加藤清正の父。
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