偉人

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九条幸経

くじょう ゆきつね(1823-1859)
登場回数:1作

九条 幸経(くじょう ゆきつね)は江戸時代後期の公卿。実父は鷹司政通。号は平等信院。正二位、権大納言。東山天皇の男系五世子孫である。
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熊谷元直

くまがい もとなお(1555-1605)
登場回数:1作

熊谷 元直(くまがい もとなお)は、安土桃山時代から江戸時代の武将。毛利氏の家臣。安芸熊谷氏当主。妻は佐波隆秀の娘。熊谷高直の子、熊谷信直の孫。男子に直貞、二郎兵衛、猪之介。女子に天野元信妻など。初名は元貞。二郎三郎、伊豆守、豊前守、蓮西(法名)、メルキオル(洗礼名)。
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桂広澄

かつら ひろずみ(?-1524)
登場回数:1作

桂 広澄(かつら ひろずみ、生年不詳 - 大永4年(1524年))は、戦国時代(室町時代後期)の武将。毛利氏の家臣。桂城主。受領名は左衛門尉。坂広明の子。兄弟は平賀弘保妻の女子、宍戸元源妻の女子、坂新三郎、坂新五郎、坂新次郎。子に元澄、元忠、就延、保和、国司元相妻の娘がいる。
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犬養毅

いぬかい つよし(1855-1932)
登場回数:1作

犬養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日〈安政2年4月20日〉- 1932年〈昭和7年〉5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党代表者、立憲国民党総理、革新倶楽部代表者、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)などを歴任した。
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原田左之助

はらだ さのすけ(1840-1868)
登場回数:3作

原田 左之助(はらだ さのすけ)1840年(天保11年) - 1868年7月6日(慶応4年5月17日)は、新選組隊士(副長助勤)。諱は忠一。 伊予松山藩に生まれる。はじめ藩の武家奉公人(中間)だったが、のちに出奔。その後浪士組に参加して上洛。主だった新選組の戦闘に関わり活躍した(芹沢鴨一派の粛清、長州藩の間者・楠小十郎斬殺、大阪西町奉行与力・内山彦次郎暗殺、池田屋事件、禁門の変、三条制札事件、油小路事件など)。 鳥羽・伏見の戦いや甲州勝沼の戦いまでは新撰組(甲陽鎮撫隊)として戦うが、江戸に敗走の後、近藤らと意見衝突して袂を分かち永倉新八と共に靖兵隊を結成する。ところが、山崎宿(現在の千葉県野田市山崎)にて靖兵隊を離れた。上野戦争の際に負傷し、その傷がもとで1868年7月6日(慶応4年5月17日)に本所の神保相徳の屋敷で死亡したとされる。享年29。
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源義仲

きそ よしなか(1154-1184)
登場回数:4作
別名:木曽義仲

源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉と荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。
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源通親

みなもと の みちちか(1149-1202)
登場回数:2作
別名:土御門通親

源 通親(みなもと の みちちか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。村上源氏久我流、内大臣・源雅通の子。官位は正二位・内大臣、右大将、贈従一位。久我家4代。 七朝にわたり奉仕し、村上源氏の全盛期を築いた。土御門 通親(つちみかど - )と呼ばれるのが一般的で、曹洞宗などでは久我 通親(こが - )と呼ばれている。
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古今亭志ん生

ここんてい しんしょう(1877-1926)
登場回数:1作

四代目 古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、1877年4月4日 - 1926年1月29日)は、明治・大正期に活躍した東京の落語家。本名∶鶴本 勝太郎。通称「鶴本の志ん生」。
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五代友厚

ごだい ともあつ(1836-1885)
登場回数:4作
別名:五代才助

五代 友厚(ごだい ともあつ、天保6年12月26日〈1836年2月12日〉 ー 明治18年〈1885年〉9月25日)は、幕末から明治期の日本の武士、実業家。薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷(現在の鹿児島県鹿児島市長田町)生まれ。贈正五位、勲四等。通称は才助。 大阪経済界の重鎮の一人。大阪市の本邸跡は大阪科学技術館・日本銀行大阪支店になっている。当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」(五代)のあった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図った。
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後奈良天皇

ごならてんのう(1497-1557)
登場回数:1作
別名:知仁

後奈良天皇(ごならてんのう、1497年1月26日〈明応5年12月23日〉 - 1557年9月27日〈弘治3年9月5日〉)は、日本の第105代天皇(在位: 1526年6月9日〈大永6年4月29日〉- 1557年9月27日〈弘治3年9月5日〉)。諱は知仁(ともひと)。
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