偉人

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徳川宗堯

とくがわ むねたか(1705-1730)
登場回数:1作

徳川 宗尭(とくがわ むねたか、旧字体德川 宗堯)は、江戸時代中期の大名。常陸水戸藩4代藩主。官位は従三位・左近衛権中将、参議。
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徳姫

とくひめ(1559-1636)
登場回数:4作

徳姫(とくひめ、1559年11月11日(永禄2年10月12日) - 1636年2月16日(寛永13年1月10日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。織田信長の長女。名前は「おごとく」。松平信康の正室。嫁入りで岡崎殿と敬称された。法名は見星院香岩桂寿大姉。長女の登久姫は小笠原秀政室、次女の熊姫は本多忠政室。
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内藤興盛

ないとう おきもり(1495-1554)
登場回数:1作

内藤 興盛(ないとう おきもり)は、戦国時代の武将。守護大名大内氏の重臣。大内義興、義隆の2代に仕え、約半世紀にわたり長門国守護代、評定衆など重職を占めた。
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南江久子

みなみえ ひさこ(?-?)
登場回数:1作

南江 久子(みなみえ ひさこ)は、鎌倉時代末期から建武の新政期にかけての武将楠木正成の妻として伝わる人物。
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二階堂行政

にかいどう ゆきまさ(?-?)
登場回数:3作

二階堂 行政(にかいどう ゆきまさ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての貴族(官人)、鎌倉幕府の文官。十三人の合議制の一人。鎌倉幕府政所令(別当)、代々政所執事を務めた二階堂氏の祖。二階堂の苗字は、建久3年(1192年)11月25日に建立された永福寺(二階建ての仏堂があった)の周辺に、行政が邸宅を構えたことに由来する。
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尼子義久

あまご よしひさ(1540-1610)
登場回数:1作

尼子 義久(あまご よしひさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名、武将。尼子晴久の嫡男。
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日野俊基

ひの としもと(?-1332)
登場回数:1作

日野 俊基(ひの としもと)は、鎌倉時代後期の公家。藤原北家真夏流日野家、刑部卿・日野種範の子。官位は従四位下・右中弁、贈従三位。
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濃姫

のうひめ(1535-?)
登場回数:10作
別名:帰蝶/胡蝶/鷺山殿

濃姫(のうひめ / のひめ)は、通説では、美濃の戦国大名である斎藤道三(長井秀龍)の娘で、政略結婚で尾張の戦国大名の織田信長に嫁ぎ、信長の正室になったとされるが、名前や呼称は確かではない。
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白河天皇

しらかわてんのう(1053-1129)
登場回数:2作
別名:貞仁/白河上皇/白河法皇

白河天皇(しらかわてんのう、1053年7月7日〈天喜元年6月19日)〉-1129年7月24日〈大治4年7月7日〉)は、日本の第72代天皇(在位:1073年1月18日〈延久4年12月8日〉- 1087年1月3日〈応徳3年11月26日〉)。諱は貞仁(さだひと)。 後三条天皇の第一皇子。母は藤原氏閑院流藤原公成の娘で、藤原能信の養女である藤原茂子。同母妹に篤子内親王(堀河天皇中宮)。
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畠山政長

はたけやま まさなが(1442-1493)
登場回数:1作

畠山 政長(はたけやま まさなが)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将・守護大名。室町幕府管領、河内・紀伊・越中・山城守護。足利氏の一門畠山氏出身。畠山持富の次男で政久(弥三郎)の弟。妻は京極持清の娘。子に尚順(尚慶)。お家騒動で従兄の畠山義就と争い、応仁の乱を引き起こした。
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