偉人

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ジョン万次郎

ジョン まんじろう(1827-1898)
登場回数:6作

ジョン万次郎(ジョン まんじろう、旧字体:ジョン萬次郎、英語:John Manjirō、1827年1月27日〈文政10年1月1日〉 - 1898年〈明治31年〉11月12日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけてアメリカ合衆国と日本で活動した日本人である。アメリカ人からはジョン・マン(英語:John Mung)という愛称でも呼ばれた。土佐国(現・高知県)出身。帰国後は本名として 中浜 万次郎(なかはま まんじろう、旧字体:中濱 萬次郎)を名乗った。なお、「ジョン万次郎」という呼称は、1938年(昭和13年)に第6回直木賞を受賞した『ジョン萬次郎漂流記』(井伏鱒二)で用いられたことによって広まったもので、それ以前には使用されていない。 日米和親条約の締結に尽力した後、通訳・教師などで活躍した。
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フランシスコ・カブラル

ふらんしすこ・かぶらる(1529-1609)
登場回数:1作

フランシスコ・カブラル(Francisco Cabral、 1529年 - 1609年4月16日)は戦国時代末期の日本を訪れたイエズス会宣教師。カトリック教会の司祭。日本布教区の責任者であったが、当時のポルトガル人冒険者の典型のような人物で、日本人と日本文化に対して一貫して否定的・差別的であったため、巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに徹底的に批判され、解任された。
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ヤン・ヨーステン

やん・よーすてん(1556-1623)
登場回数:1作

ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(Jan Joosten van Lodensteyn 〈Lodensteijn〉、1556年? - 1623年)は、オランダの航海士、朱印船貿易家。日本名は耶 揚子(や ようす)。現在の東京駅周辺の八重洲の地名の由来になった人物である。 教科書などで知られている「ヤン・ヨーステン」は名で、姓は「ファン・ローデンステイン」である。
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阿部勝宝

あべ かつよし(?-1582)
登場回数:1作

阿部 勝宝(あべ かつよし/かつとみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。甲斐武田氏の家臣。近年の研究により、本来は安部宗貞であると言われており、名前は他に貞村、定村とも。
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鮎貝盛次

あゆかい もりつぐ(1555-1624)
登場回数:1作

鮎貝 盛次(あゆかい もりつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達氏の家臣。家格は一家の第一席。出羽国置賜郡鮎貝城主。
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安達盛宗

あだち もりむね(?-1285)
登場回数:2作

安達 盛宗(あだち もりむね)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府御家人。安達氏の一族で、安達泰盛の子。
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安倍宗任

あべ の むねとう(1032-1108)
登場回数:1作

安倍 宗任 (あべ の むねとう)は、平安時代中期の武将。陸奥国の俘囚の長とされる豪族、安倍氏の安倍頼時の子(三男)。鳥海柵の主で、安倍鳥海三郎宗任とも呼ばれる。安倍氏の本拠地である鳥海柵の主であり、嫡妻であった清原氏の子として嫡子格の地位にあったと推察する説もある。
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伊井蓉峰

いい ようほう(1871-1932)
登場回数:1作

伊井 蓉峰(いい ようほう、本名・伊井 申三郎、明治4年8月16日(1871年9月30日) - 昭和7年(1932年)8月15日)は、発足間もない新派劇で活躍した俳優。
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伊達宗重

だて むねしげ(1615-1671)
登場回数:1作

伊達 宗重(だて むねしげ)は、江戸時代前期の武士。陸奥国仙台藩一門第四席・涌谷伊達家2代(亘理氏20代)当主。 伊達騒動の主要人物の一人。伊達安芸の通称で知られる。
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伊東マンショ

いとう マンショ(1569-1612)
登場回数:1作

伊東 マンショは、安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタン。天正遣欧少年使節の主席正使、イエズス会員でカトリック教会の司祭。マンショは洗礼名、本名は祐益。
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