偉人

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藤田信吉

ふじた のぶよし(1559-1616)
登場回数:1作

藤田 信吉(ふじた のぶよし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。下野西方藩初代藩主。
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徳川家光

とくがわ いえみつ(1604-1651)
登場回数:6作
別名:竹千代

徳川 家光(とくがわ いえみつ)は江戸幕府の第3代征夷大将軍(在職:1623年 - 1651年)。乳兄弟に稲葉正勝、稲葉正吉、稲葉正利がいる。 15人の徳川将軍のうち、(父親の)正室の子は、家康・家光・慶喜の3人のみであり、さらに将軍の御内室(御台所)が生んだ将軍は家光のみである。
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徳川継友

とくがわ つぐとも(1692-1731)
登場回数:1作

徳川 継友(とくがわ つぐとも)は、江戸時代中期の第6代尾張藩主である。江戸幕府第7代将軍・徳川家継の後継者候補であった。
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徳川秀忠

とくがわ ひでただ(1579-1632)
登場回数:14作
別名:竹千代/長松丸

徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府の第2代征夷大将軍(在職:1605年 - 1623年)。
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徳富蘇峰

とくとみ そほう(1863-1957)
登場回数:1作

徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎(いいちろう)。字は正敬(しょうけい)。筆名は菅原 正敬(すがわら しょうけい)、大江 逸(おおえ いつ、逸郎とも)。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生前自ら定めた戒名は百敗院泡沫頑蘇居士(ひゃぱいいんほうまつがんそこじ)。 小説家の徳冨蘆花は弟である。
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内藤勝介

ないとう しょうすけ(?-?)
登場回数:1作

内藤 勝介(ないとう しょうすけ/かつすけ)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。
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南宗継

みなみ むねつぐ(?-1371)
登場回数:1作

南 宗継(みなみ むねつぐ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期の武将、官僚、政治家。高階姓南氏の棟梁。惟宗の子で、子に宗久ら。北朝遠江守、室町幕府侍所頭人・三河守護・備中守護。室町幕府初代執事の高師直の又従兄弟。足利氏の内紛観応の擾乱では、師直・将軍尊氏派の有力武将として参戦。擾乱後は、高一族生き残りの最長老の一人となり、執事仁木頼章に次ぐ尊氏の片腕として活躍した。なお、本項では、源姓南部氏の人とする異説も合わせて記述する。
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二階堂行村

にかいどう ゆきむら(1155-1238)
登場回数:1作

二階堂 行村(にかいどう ゆきむら)は、平安時代後期から鎌倉時代中期にかけての武士。鎌倉幕府評定衆。
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尼子経久

あまご つねひさ(1458-1541)
登場回数:1作

尼子 経久(あまご つねひさ)は、戦国時代の武将・大名。出雲守護代、のち出雲守護。十一ヶ国太守と言われる。
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日野勝光

ひの かつみつ(1429-1476)
登場回数:1作

日野 勝光(ひの かつみつ)は、室町時代中期から後期にかけての公卿。藤原北家真夏流日野家、右少弁・日野重政(政光)の子。官位は従一位・左大臣。日野富子の兄。
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