偉人

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真田範之助

さなだ はんのすけ(1834-1864)
登場回数:1作

真田 範之助(さなだ はんのすけ)は、幕末の志士、剣客。
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茶屋四郎次郎 清次

ちゃや しろうじろう(1583-1622)
登場回数:2作

茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう きよつぐ)は、二代の弟で、長谷川藤広の養子となっていたが、兄の急逝のため江戸幕府の命で急遽跡を継いだ。呉服師の一方で藤広の長崎奉行就任後は長崎代官補佐役などを務める。1612年、朱印船貿易の特権を得ることに成功し、主にベトナム北部に船を派遣し、莫大な富を得た。その財産によって茶道具を蒐集し、本阿弥光悦らの芸術支援にも熱心であったが、1622年に38歳で死去した。
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母里武兵衛

もり ぶへえ(?-1569)
登場回数:1作

母里 武兵衛 (もり ぶへえ、生年不詳-1569年)は、戦国時代の武将。黒田家の家臣である。
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ウィリアム・ドウェル

うぃりあむ・どうぇる(1825-1912)
登場回数:1作

下関戦争に参加したイギリス海軍の蒸気スクリューコルベットのバロッサ艦の艦長。当時の階級は大佐。
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三野村利左衛門

みのむら りざえもん(1821-1877)
登場回数:1作

三野村 利左衛門(みのむら りざえもん、1821年12月4日(文政4年11月10日) - 1877年(明治10年)2月21日)は、幕末から明治時代初期に活躍した三井組の大番頭。元の名は利八。三井財閥の中興の祖。
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井上道勝

いのうえ みちかつ(?-?)
登場回数:2作
別名:長井道勝

井上 道勝(いのうえ みちかつ)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。斎藤氏の家臣。美濃国不破郡今須城主。長井 道勝(ながい みちかつ)ともいう。
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愛新覚羅溥儀

あいしんかくら ふぎ(1906-1967)
登場回数:1作

愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ、アイシンギョロ・プーイー、満州語:ᠠᡞᠰᡞᠨᡤᡞᠣᠷᠣᡦᡠ ᡞ、転写:aisin gioro pu i、1906年2月7日 - 1967年10月17日)は、大清帝国第12代にして最後の皇帝(在位:1908年12月2日 - 1912年2月12日)、後に満州国執政(1932年3月9日 - 1934年3月1日)、皇帝(在位:1934年3月1日 - 1945年8月18日)。1960年から中華人民共和国中国人民政治協商会議(政協)文史研究委員会専門委員、1964年から政協全国委員を兼任。 字は「耀之」。号は「浩然」。辛亥革命後の呼称としては、廃帝と国民党政府から呼ばれる一方、旧清朝の立場からは遜帝(「遜」は「ゆずる」の意)とも呼ばれた。末代皇帝(末帝)と呼ばれる場合もある。また、唯一火葬された皇帝のため「火龍(龍は皇帝を指す)」とも呼ばれる。
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ジャン・バティスト・ルイ・グロ

じゃん・ばてぃすと・るい・ぐろ(1793-1870)
登場回数:1作

ジャン・バティスト・ルイ・グロ男爵(Jean-Baptiste Louis Gros、1793年2月8日 - 1870年8月17日)は、フランスの外交官で、初期のダゲレオタイプ撮影家の1人である。ボゴタ(1838年 - 1842年)およびアテネ(1850年)、フランス臨時代理大使を務め、またロンドンでは大使を務めた(1852年 - 1863年)。1857年と1858年には中国(清)と幕末の日本に外交使節として派遣されている。この間に多くのダゲレオタイプを撮影しているが、もっとも有名なのはアテナイのアクロポリスを撮影したものである。 グロ男爵はアロー戦争(1856年 - 1860年)に際しては、フランス軍の指揮を執っている。 1858年10月9日(安政5年9月3日)、江戸で日仏修好通商条約が締結されたが、グロ男爵はフランス側代表として、それに署名している。随員にはギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクール(初代駐日フランス公使)やシャルル・ド・モンブラン(後に在フランス日本総領事となる)がおり、また通訳はメルメ・カション神父が務めた。 彼の撮影したダゲレオタイプは有名であるが、数は少ないものの、南アメリカの風景を描いた絵画も、そのリアリズムが印象的である。 1851年のロンドン万国博覧会において、彼の姿が写真撮影されている。 1858年(安政5年)の日仏修好通商条約から数えて、国交開始150周年となる2008年に、日仏両国の代表的な人物の記念切手が発売された。グロ男爵はその「幕末シリーズ」10人の中に選ばれている。
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マックス・フォン・ブラント

まっくす・ふぉん・ぶらんと(1835-1920)
登場回数:1作

マクシミリアン・アウグスト・スキピオ・フォン・ブラントは、プロイセン王国・ドイツ帝国の外交官、東アジア研究者。黄禍論の提唱者と言われている。
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井上末子

いのうえ すえこ(1861-1934)
登場回数:1作

井上 末子(いのうえ すえこ、1864年10月3日(元治元年9月3日) - 1934年(昭和9年)8月2日)は、明治時代から昭和時代初期の女性。井上馨の姪で養女。井上勝之助の妻。父は小沢正路、母は馨の姉・常子。
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