偉人

偉人

鎌田光政

かまだ みつまさ(?-1185)
登場回数:2作

鎌田 光政(かまだ みつまさ)は、平安時代末期の武将。名は政光、正親とも。源義朝の乳兄弟である鎌田政清の子(鎌田政治の子という説も)。兄は鎌田 盛政(かまた もりまさ)で通称は藤太。
偉人

観阿弥

かんあみ(1333-1384)
登場回数:1作

観阿弥(かんあみ/かんなみ 觀阿彌陀仏 正慶2年/元弘3年(1333年) - 至徳元年/元中元年5月19日(1384年6月8日))は、日本の南北朝時代から室町時代にかけての猿楽師。息子の世阿弥とともに、いわゆる能を大成した人物である。名は清次。時宗の法名(時宗の男の法名(戒名)は阿弥陀仏(阿彌陀佛)号。ちなみに観は観世に由来)は観阿弥陀仏。その略称が観阿弥で、早くから観世大夫、あるいは観阿弥、観阿として記録に登場する。観世家の祖。観阿弥最後の舞台となった静岡市葵区宮ヶ崎町の静岡浅間神社には、26世宗家観世清和による顕彰碑がある。
偉人

岩佐又兵衛

いわさ またべえ(1578-1650)
登場回数:1作

岩佐 又兵衛(いわさ またべえ、 天正6年(1578年) - 慶安3年6月22日(1650年7月20日))は、江戸時代初期の絵師。又兵衛は通称で、諱は勝以(かつもち)。異名に「吃の又平(どものまたへい)」。
スポンサーリンク
偉人

喜佐姫

きさひめ(1598-1655)
登場回数:1作
別名:龍昌院

喜佐姫(きさひめ、慶長2年12月14日(1598年1月21日) - 明暦元年6月25日(1655年7月28日))は、江戸時代初期の女性。北ノ庄藩主結城秀康の次女。長州藩主毛利秀就の正室。綱広、土佐(松平光長正室)、竹(鷹司房輔室)の母。
偉人

亀井茲親

かめい これちか(1669-1731)
登場回数:1作

亀井 茲親(かめい これちか)は、江戸時代前期から中期にかけての外様大名。通称は松之助。石見国津和野藩3代藩主。官位は従五位下・能登守、のち隠岐守。津和野藩亀井家4代。
偉人

吉岡信敬

よしおか しんけい(1885-1940)
登場回数:1作

吉岡 信敬(よしおか しんけい/のぶよし、1885年〈明治18年〉9月1日 - 1940年〈昭和15年〉12月7日)は日本の応援団員、新聞記者。早稲田大学の応援隊長として「虎鬚彌次将軍」の通称で知られ、当時は乃木希典、葦原金次郎と並んで「三大将軍」と呼ばれたほどの人気者だった。 なお、名前の正式な読みは「のぶよし」であるが、一般的には「しんけい」と呼ばれており、また本人もそう称していた。
偉人

吉川千法師

きっかわ せんほうし(?-1550)
登場回数:1作

吉川 千法師(きっかわ せんほうし)は、戦国時代の人物。安芸国国人・吉川興経の嫡男。
偉人

橘家圓喬

たちばなや えんきょう(1865-1912)
登場回数:1作

4代目橘家 圓喬(たちばなや えんきょう、慶応元年11月9日(1865年12月26日) - 大正元年(1912年)11月22日)は、江戸(東京)出身の落語家。本名:柴田清五郎(元は桑原で養子になり柴田になったと思われる。)。
偉人

宮川音五郎

みやかわ おとごろう(1830-1871)
登場回数:1作

宮川 音五郎(みやかわ おとごろう、天保元年(1830年) - 明治4年5月25日(1871年7月12日))は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての人物。新選組局長の近藤勇の実兄。音次郎、乙五郎とも。後に源治郎(6代目)。諱は光信。天然理心流門人。
偉人

京極竜子

きょうごく たつこ(?-1634)
登場回数:6作
別名:寿芳院

京極 竜子(きょうごく たつこ、生年不詳 - 寛永11年9月1日(1634年10月22日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。初めは武田元明の正室となり、寡婦となった後に豊臣秀吉の側室となった。 呼称は、大坂城の西の丸に屋敷を与えられたことから西の丸殿(西丸殿)、次いで伏見城に移ったことから松の丸殿(松丸殿)、あるいは京極殿(京極様)などと呼ばれた。秀吉の死後は出家して寿芳院(じゅほういん)と号した。
スポンサーリンク