偉人

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古橋廣之進

ふるはし ひろのしん(1928-2009)
登場回数:1作

古橋 廣之進(ふるはし ひろのしん、1928年(昭和3年)9月16日 - 2009年(平成21年)8月2日)は、日本の水泳選手でありスポーツ指導者。日本大学名誉教授。フジヤマのトビウオの異名を持つ。 第二次世界大戦終了後の水泳界で次々と世界記録を打ち立てた。現役引退後は大同毛織(現 ダイドーリミテッド)に入社。その後、母校・日本大学の教授や日本水泳連盟会長、日本オリンピック委員会会長を歴任した。2009年(平成21年)8月2日、世界水泳選手権が開かれていたイタリア・ローマで死去した。
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虎御前

とらごぜん(1175-?)
登場回数:1作

虎御前(とらごぜん、安元元年(1175年) - ?)は、鎌倉時代初期の遊女。曾我祐成の妾。お虎さん、虎女(とらじょ)とも呼ばれる。富士の巻狩りの際に起こった曾我兄弟の仇討ちを描いた『曽我物語』で、この物語を色づけ深みを持たせる役割をしている。『吾妻鏡』にも出てくることから実在した女性とされる。 江戸期に制作された多数の曾我物にも登場し、虎御前の名は広く知られることとなった。
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後藤象二郎

ごとう しょうじろう(1838-1897)
登場回数:8作

後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、1838年4月13日(天保9年3月19日) - 1897年(明治30年)8月4日)は、日本の武士(土佐藩士)、政治家、実業家。栄典は正二位勲一等伯爵。土佐三伯の1人(他に板垣退助、佐々木高行)。
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向山黄村

むこうやま こうそん(1826-1897)
登場回数:2作
別名:向山一履

向山 黄村(むこうやま こうそん、文政9年1月13日(1826年2月19日) - 明治30年(1897年)8月12日)は、幕末から明治時代の幕臣、漢詩人。諱は一履、字は欣文、通称は栄五郎、隼人正。海軍中将で男爵の向山慎吉は養子。
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江藤新平

えとう しんぺい(1834-1874)
登場回数:5作

江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日(1834年3月18日) - 明治7年(1874年)4月13日)は、江戸時代後期の武士(佐賀藩士・権大参事)、明治時代の政治家、官吏、教育者。幼名は恒太郎、又蔵。諱は胤雄、胤風とも、号は南白または白南。朝臣としての正式な名のりは平胤雄(たいら の たねお)。位階は贈正四位。 東征大総督府軍監、徴士、制度取調専務、左院副議長(初代)、文部大輔(初代)、司法卿(初代)、参議、佐賀征韓党首を歴任。 立法・行政・司法がそれぞれ独立する「三権分立」を推進し、わが国近代司法体制の生みの親として「近代日本司法制度の父」と称される。また、司法制度・学制・警察制度の推進と共に「四民平等」を説き浸透させた。
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香山栄左衛門

かやま えいざえもん(1821-1877)
登場回数:2作

香山 栄左衛門(かやま えいざえもん、文政4年4月10日(1821年5月11日) - 明治10年(1877年)4月30日)は、幕末期の幕臣。諱は永孝。昭洞と号す。妻は西丸御徒岡田定十郎の三女きん子(母は香山氏)で、中島三郎助の妻すずの実妹。
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高見弥市

たかみ やいち(1831-1896)
登場回数:2作
別名:大石団蔵

高見 弥市(たかみ やいち、天保2年(1831年)1月 - 明治29年(1896年)2月28日)は、幕末の志士。名は俊良あるいは祐之。幼名は鹿之助。初名は大石団蔵、後に松元誠一・安藤勇之助と変名した。同じ土佐勤皇党で脱藩浪士の大石弥太郎の従兄弟にあたる。 土佐国香美郡野市村の土佐藩郷士・大石磯平の長男として生まれる。万延元年(1860年)父の没後、家督を継承して久板台場小頭役などを務めた。 文久元年(1861年)土佐勤王党に加盟し、長州に使者として出ている他、薩摩へも視察へ向かった。文久2年(1862年)那須信吾・安岡嘉助と計って、高知城下で土佐藩参政の吉田東洋を暗殺し、首級を鏡川河原に晒す。そのまま脱藩し、京都で久坂玄瑞に保護され、後に薩摩藩士・奈良原繁の養子として薩摩藩に所属するようになる。慶応元年(1865年)薩摩藩第一次英国留学生として、五代友厚らとともにイギリスへ密留学する。イギリスでは森有礼と下宿を共にしながら測量や機関学、数学を学び、慶応3年(1867年)帰国。 維新後は鹿児島県立中学造士館で数学教師となり、明治25年(1892年)沖縄県庁に勤めるも、やがて辞職して鹿児島へ帰った。
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高台院

こうだいいん(1542-1624)
登場回数:20作
別名:ねね/北政所

高台院(こうだいいん、生年不詳 - 寛永元年9月6日(1624年10月17日))は、戦国時代(室町時代後期)から江戸時代初期の女性で、豊臣秀吉の正室である。杉原(木下)家定の実妹であるが浅野家に養女として入る。秀吉の養子となって後に小早川家を継いだ小早川秀秋(羽柴秀俊)は、兄・家定の子で彼女の甥にあたる。
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黒岩涙香

くろいわ るいこう(1862-1920)
登場回数:1作

黒岩 涙香(くろいわ るいこう、1862年11月20日(文久2年9月29日) - 1920年〈大正9年〉10月6日)は、日本の小説家、思想家、作家、翻訳家、ジャーナリスト。兄は黒岩四方之進。本名は黒岩周六。黒岩涙香のほか、香骨居士、涙香小史、冷眼士等などの筆名を用いた。号は古概、民鉄、正調庵、黒岩大。執拗な取材をおこなうことから「マムシの周六」というあだ名がついた。戒名は黒岩院周六涙香忠天居士。 翻訳家、作家、記者として活動し、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した。
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骨皮道賢

ほねかわ どうけん(?-1468)
登場回数:1作

骨皮 道賢(ほねかわ どうけん、? - 応仁2年3月21日(1468年4月13日))は、室町時代の傭兵、足軽大将。
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