偉人

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山吉盛侍

やまよし もりひと)は(1671-1753)
登場回数:4作
別名:山吉新八郎

山吉 盛侍(やまよし もりひと)は、江戸時代前期から中期にかけての武士。吉良義央の家臣 ・近習(吉良義周の中小姓)。通称は新八郎(しんぱちろう)。
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山川重英

やまかわ しげひで(1783-1869)
登場回数:1作

山川 重英(やまかわ しげひで、天明3年(1783年) - 明治2年(1869年))は、江戸時代幕末期の陸奥会津藩家老。山川浩、山川健次郎の祖父に当たる。通称は兵衛。
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山内忠義

やまうち ただよし(1592-1665)
登場回数:1作

山内 忠義(やまうち ただよし)は、江戸時代前期の大名。土佐藩の第2代藩主。山内康豊の長男で、伯父山内一豊の養嗣子。
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山本秀樹

やまもと ひでき(?-?)
登場回数:1作
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四条隆謌

しじょう たかうた(1828-1898)
登場回数:4作

四条 隆謌(しじょう たかうた)は、江戸時代後期から明治時代にかけての日本の公家、華族、陸軍軍人。後陽成天皇の男系七世子孫である。
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支倉常長

はせくら つねなが(1571-1622)
登場回数:1作

支倉 常長(はせくら つねなが、1571年〈元亀2年〉‐ 1622年8月7日〈元和8年7月1日〉)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての日本の武将(仙台藩伊達氏家臣)。幼名は與市、初名は六右衛門長経、キリスト教洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ・ファセクラ。 慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、有色人種として唯一無二のローマ貴族、及びフランシスコ派カトリック教徒となった。
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寺島健

てらじま けん(1882-1972)
登場回数:1作

寺島 健(てらしま けん、1882年(明治15年)9月23日 - 1972年(昭和47年)10月30日)は、日本の海軍軍人、政治家。海軍中将で予備役となったのち、東條内閣で逓信大臣、鉄道大臣を務めた。
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室賀久太夫

むろが きゅうだゆう(?-1641)
登場回数:1作

室賀 久太夫(むろが きゅうだゆう)は安土桃山時代・江戸時代の武将、尾張藩士。室賀正武の子。妻は屋代秀正の長女。
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若宮友興

わかみや ともおき(?-1560)
登場回数:1作

若宮 友興(わかみや ともおき、生年不明 - 永禄9年(1566年)頃?)は、戦国時代の武将。浅井氏の家臣。通称は喜助。 詳細の明らかな武将ではない。妻は明智氏家臣・石川小四郎の娘とされる。 永禄9年(1566年)、友興と同一人物と考えられている若宮左馬助が討死し、その娘・まつに対して安堵状が出されている。通説では、この「まつ」が山内一豊の室・見性院(千代)の幼名とされてきたが、近年の研究で「まつ」は山内氏家臣・五藤為重に嫁いだ事が判明し、見性院も美濃斎藤氏家臣の遠藤盛数の娘とする説が有力である。 なお、友興は永禄3年(1560年)8月の野良田の戦いで戦死したともいわれ、司馬遼太郎の小説『功名が辻』はこの説に準じている。
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酒井忠勝

さかい ただかつ(1594-1647)
登場回数:2作

酒井 忠勝(さかい ただかつ)は、江戸時代初期の大名。越後高田藩主、信濃松代藩主を経て、出羽庄内藩の初代藩主。酒井佐衛門尉家第7代当主。
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