偉人

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鷲尾義久

わしお よしひさ(?-1189)
登場回数:2作

鷲尾 義久(わしお よしひさ、生年不詳 - 文治5年閏4月30日(1189年5月17日)?)は、平安時代末期の武士。源義経の郎党。通称は三郎。諱は経春とも伝わる。 『平家物語』の「老馬」の段に登場する(覚一本)。元は播磨山中にて猟師をしていたという。寿永3年(1184年)、三草山の戦いで平資盛軍を破った義経軍は、山中を更に進軍していくにあたって、土地鑑のある者としてこの義久を召し出し、道案内役として使ったという。義経一行が鵯越にたどりつき、一ノ谷の戦いにおいて大勝を収めることができたのは、彼のこの働きによるところが大きく、「義久」という名はその褒賞として義経が自らの一字を与えてつけたものだと言われている。 以降、忠実な義経の郎党として付き従い、最後は衣川館にて主君と命運をともにしたという。 なお、義久の存在が書かれているのは『平家物語』のみであり、同時代の史料や鎌倉幕府編纂の史書『吾妻鏡』などには見られない。
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皎月院

こうげついん(?-1600)
登場回数:2作
別名:うた

皎月院(こうげついん、? - 慶長5年9月17日(1600年10月23日))は、戦国時代・安土桃山時代の女性。石田三成の正室で石田重家、石田重成、辰姫ら3男3女の母(後妻であり二男一女の母とも)。父は宇多頼忠、兄弟に宇多頼重らがいる。一説に姉に山手殿(真田昌幸正室) がいる。
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細川晴元

ほそかわ はるもと(1514-1563)
登場回数:1作

細川 晴元(ほそかわ はるもと)は、戦国時代の武将・大名。室町幕府34代管領。山城国・摂津国・丹波国・讃岐国・土佐国守護。細川京兆家17代当主。
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渋沢宗助

しぶさわ そうすけ(1795-1871)
登場回数:1作

渋沢 宗助(しぶさわ そうすけ)は、江戸時代後期の武蔵国榛沢郡血洗島村の名主、養蚕家。誠室と号した。渋沢栄一の伯父、澁澤龍彦の高祖父にあたる。
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横川勇太郎

よこがわ ゆうたろう(1847-1879)
登場回数:1作

横川 勇太郎(よこがわ ゆうたろう)は、幕末の志士、剣客。武蔵国多摩郡横川村(現八王子市横川町)の人。教育者として知られる横川楳子は妹。
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清光院

せいこういん(1558-1631)
登場回数:1作
別名:南の大方

清光院(せいこういん、永禄元年(1558年)- 寛永8年6月20日(1631年7月19日))は、毛利輝元の正室。父は毛利氏一門衆の宍戸隆家、母は毛利元就の娘である五龍局。南の大方と呼ばれた。
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英照皇太后

えいしょうこうたいごう(1835-1897)
登場回数:1作
別名:夙子/九条夙子

英照皇太后(えいしょうこうたいごう、1835年1月11日〈天保5年12月13日〉 - 1897年〈明治30年〉1月11日)は、孝明天皇の女御。明治天皇の嫡母(実母ではない)として皇太后に冊立された。旧名、九条 夙子(くじょう あさこ)。
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益田孝

ますだ たかし(1848-1938)
登場回数:1作

益田 孝(ますだ たかし、嘉永元年10月17日(1848年11月12日) - 昭和13年(1938年)12月28日)は日本の実業家。草創期の日本経済を動かし、三井財閥を支えた。明治維新後、世界初の総合商社・三井物産の設立に関わり、日本経済新聞の前身である中外物価新報を創刊した。茶人としても高名で鈍翁と号し、「千利休以来の大茶人」と称された。男爵。三井合名理事長。
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伊藤雋吉

いとう しゅんきち(1840-1921)
登場回数:1作

伊藤 雋吉(いとう しゅんきち、天保11年3月28日(1840年4月30日) - 大正10年(1921年)4月10日)は、大日本帝国海軍の軍人。茶人。海軍中将正二位勲一等功三級男爵。
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ロイ・フラー

ろい・ふらー(1862-1928)
登場回数:1作

ロイ・フラー(英語: Loie Fuller、あるいはLoïe Fuller、1862年1月15日 - 1928年1月1日)は、アメリカ合衆国出身のダンサーであり、モダンダンスと舞台照明技術両方の分野のパイオニアであった。その画期的な業績ゆえ、「芸術としてのモダンダンス最初のパフォーマー」などと呼ばれることもある。
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