偉人平山五郎 ひらやま ごろう(1829-1863)登場回数:1作平山 五郎(ひらやま ごろう、文政12年(1829年) - 文久3年9月18日(1863年10月30日))は、幕末の武士。新選組隊士(副長助勤)。 2020.09.01偉人
偉人平将門 たいら の まさかど(?-940)登場回数:1作平 将門(たいら の まさかど、平 將門、延喜3年〈903年〉? - 天慶3年2月14日〈940年3月25日〉)は、平安時代の関東の豪族。 平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。 下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。 しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。 死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使した。 2020.09.01偉人
偉人平頼綱 たいら の よりつな(?-1293)登場回数:1作平 頼綱(たいら の よりつな)は、鎌倉時代後期の武士。北条氏得宗家の御内人。鎌倉幕府8代執権北条時宗・9代執権北条貞時の執事で、貞時の乳母父。父は歴代執権の執事を務めた平盛時。 御内人の筆頭格として時宗の専制体制を補佐した。時宗死後に対立した有力御家人の安達泰盛を霜月騒動で滅ぼし、内管領として時宗の嫡子貞時を擁し幕府内外で絶大な権勢を振るうが、頼綱の恐怖政治に不安を抱いた貞時の命によって誅殺された(平禅門の乱)。 2020.09.01偉人
偉人片岡高房 かたおか たかふさ(1667-1703)登場回数:4作別名:片岡源五右衛門片岡 高房(かたおか たかふさ 寛文7年(1667年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。赤穂藩では側用人・児小姓頭をつとめ、浅野長矩から最大の寵愛を受けた。通称は、はじめ新六(しんろく)、のちに源五右衛門(げんごえもん)と称した。本姓は近江源氏。家紋は瓜の内釘貫。変名は、吉岡勝兵衛。 2020.09.01偉人
偉人法秀院 ほうしゅういん(?-1586)登場回数:1作法秀院(ほうしゅういん、生年不詳 - 天正14年7月17日(1586年8月31日))は、戦国時代の女性。山内盛豊の妻、山内一豊、康豊の母である。法秀尼(ほうしゅうに)。 2020.09.01偉人
偉人豊臣秀勝 とよとみ ひでかつ(1569-1592)登場回数:3作豊臣 秀勝(とよとみ ひでかつ / とよとみ の ひでかつ) / 羽柴 秀勝(はしば ひでかつ)は、安土桃山時代の武将、大名。豊臣秀吉の姉である瑞龍院日秀と三好一路の次男で、秀次の弟、秀保の兄。 幼名は小吉(こきち)。他の秀勝との呼び分けとして、史家は便宜上、小吉秀勝(または三好秀勝)と呼ぶことがある。しばしば於次秀勝と混同され、当初は丹波少将や丹波中納言という同じ通称が用いられ、岐阜中納言とも呼ばれた。岐阜宰相とも言われるがこれは間違いで、遺領を継いだ織田秀信(三法師)が同じく称されたものとの混同である。 2020.09.01偉人
偉人望月清平 もちづき せいへい(?-?)登場回数:1作望月 清平(もちづき せいへい、生没年不詳)は、幕末の土佐藩士。望月真澄の長男。名は弥塩。 土佐国土佐郡小高坂村の生まれ。文久元年(1861年)土佐勤王党が結成されると、弟の亀弥太とともにそれに加盟する。同年、大坂で瀬戸内海防備のために出動している。文久3年(1863年)藩に土佐勤王党の擁護を訴える建白を行っているが、間もなく土佐勤王党は解散している。維新前後には新居留守組に編入されている。 坂本龍馬との親交が深く、文久2年(1862年)吉田東洋暗殺の嫌疑がかけられた龍馬に身を隠すように勧めたり、慶応3年(1867年)龍馬が横死する直前に手紙のやり取りをしている。 2020.09.01偉人
偉人北条氏政 ほうじょう うじまさ(1538-1590)登場回数:9作北条 氏政(ほうじょう うじまさ)は、戦国時代の相模国の戦国大名・武将。後北条氏の第4代当主。父は北条氏康、母は今川氏親の娘・瑞渓院。子に北条氏直など。正室の黄梅院は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたる。通称は新九郎で、官位の左京大夫または相模守も同様に称した。号は截流斎。 氏康の後を継いで北条氏の勢力拡大に務め最大版図を築くが、豊臣秀吉が台頭すると小田原征伐を招き、数ヶ月の籠城の末に降伏して切腹し、後北条氏による関東支配は終結した。 2020.09.01偉人
偉人北条重時 ほうじょう しげとき(1198-1261)登場回数:2作北条 重時(ほうじょう しげとき)は、鎌倉時代前期の武士。北条氏の一門。鎌倉幕府2代執権・北条義時の3男。母は正室で比企朝宗の娘・姫の前。極楽寺流の祖。 六波羅探題北方・鎌倉幕府連署など幕府の要職を歴任し、第3代執権の異母兄・北条泰時から娘婿の第5代執権・北条時頼を補佐して幕政を主導しながら鎌倉幕府政治の安定に大きく寄与した。『六波羅殿御家訓』『極楽寺殿御消息』の作者で知られる。 2020.09.01偉人