偉人橋口吉之丞 はしぐち きちのじょう(1843-1868)登場回数:1作橋口 吉之丞(はしぐち きちのじょう)は、幕末の薩摩藩士。同藩士橋口彦次の次男。兄は尊王志士の橋口壮介。 2020.09.01偉人
偉人桐野利秋 きりの としあき(1839-1877)登場回数:7作別名:中村半次郎桐野 利秋(きりの としあき、天保9年12月2日(1839年1月16日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人。諱は利秋、通称は半次郎、桐野に復姓後は信作(晋作、新作)。初め中村 半次郎(なかむら はんじろう)と称した。 桐野利秋の書と伝えられる掛け軸など複数に、「鴨溟(瞑)」という雅号が記されている。 2020.09.01偉人
偉人近衛熙子 このえ ひろこ(1666-1741)登場回数:1作近衛 熙子(このえ ひろこ、寛文6年3月26日(1666年4月30日) - 寛保元年2月28日(1741年4月13日))は、江戸幕府第6代将軍徳川家宣の正室(御台所)。院号は天英院(てんえいいん)。父は関白・太政大臣の近衛基熙、母は後水尾天皇の娘の(品宮)常子内親王。曾祖父に後陽成天皇、叔父に霊元天皇、従姉妹に吉子内親王、再従姉妹に第5代将軍徳川綱吉の正室の鷹司信子がいる。 2020.09.01偉人
偉人金子堅太郎 かねこ けんたろう(1853-1942)登場回数:2作金子 堅太郎(かねこ けんたろう、嘉永6年2月4日(1853年3月13日) - 1942年(昭和17年)5月16日)は、明治期の官僚・政治家。司法大臣、農商務大臣、枢密顧問官を歴任し栄典は従一位大勲位伯爵。 伊東巳代治、井上毅らとともに大日本帝国憲法の起草に参画。また、皇室典範などの諸法典を整備した。日本法律学校(現・日本大学)初代校長。 2020.09.01偉人
偉人九条尚忠 くじょう ひさただ(1798-1871)登場回数:3作九条 尚忠(くじょう ひさただ)は、江戸時代後期の公卿。左大臣・二条治孝の十一男。実兄で権大納言・九条輔嗣の養子。官位は従一位・関白。九条家29代当主。 孝明天皇の妃・夙子(英照皇太后)は長女、大正天皇の后・貞明皇后は長男・道孝の四女。昭和天皇の曾祖父にあたる。 2020.09.01偉人
偉人桂昌院 けいしょういん(1627-1705)登場回数:3作桂昌院(けいしょういん、寛永4年(1627年) - 宝永2年6月22日(1705年8月11日))は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母。通称は玉。『徳川実紀』によれば、父は北小路(本庄)太郎兵衛宗正。母は鍋田氏。兄に北小路道芳(後に本庄姓を賜り本庄道芳)、弟に本庄宗資がいる。 2020.09.01偉人
偉人見性院 けんしょういん(1557-1617)登場回数:2作別名:千代見性院(けんしょういん、1557年(弘治3年)- 1617年12月31日(元和3年12月4日))は、戦国時代から江戸時代にかけての女性で、土佐藩初代藩主山内一豊の正室である。本名は「千代」とも「まつ」ともいわれるが、定かではない。夫に馬を買わせるために大金を差し出した話や、笠の緒文などの様々な逸話で知られ、良妻賢母の見本とされる。正式な法号は見性院殿且潙宗紹劉大姉。 2020.09.01偉人
偉人原田種直 はらだ たねなお(1140-1213)登場回数:1作原田 種直(はらだ たねなお)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。父は大宰大監原田種雄、妻は平重盛の養女(重盛の叔父・平家盛の娘)。 原田氏は天慶の乱(藤原純友の乱)鎮圧に活躍した大蔵春実の子孫、大蔵氏の嫡流。代々大宰府の現地任用官最高位の大宰大監・少監(大宰府の第三等官・管内の軍事警察を管轄)を世襲する。最初期よりの武士団のひとつ。 2020.09.01偉人
偉人源義朝 みなもと の よしとも(1123-1160)登場回数:3作源 義朝(みなもと の よしとも)は、平安時代の河内源氏六代目棟梁。源為義の長男。母は白河院近臣である藤原忠清の娘。源頼朝・源義経らの父。 源義家の死後、河内源氏は源義光を発端とする内紛によって都での地位を凋落させていた。都から東国へ下向した義朝は、在地豪族(多くは坂東平氏)を組織して勢力を伸ばし、再び都へ戻って下野守に任じられる。東国武士団を率いて保元の乱で戦功を挙げ、左馬頭に任じられて名を挙げるが、3年後の平治の乱で藤原信頼方に与して敗北し、都を落ち延びる道中尾張国で家人に裏切られ謀殺された。 2020.09.01偉人