偉人

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磯辺サタ

いそべ さた(1943-2016)
登場回数:1作

磯辺 サタ(いそべ さた、女性、結婚後の姓は丸山、1943年12月19日 - 2016年12月18日)は、日本の元バレーボール選手。1964年東京オリンピック金メダリスト。東洋の魔女 (Oriental Witches) の主力メンバー。
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一色直温

いっしき なおあつ(?-?)
登場回数:1作

一色 直温(いっしき なおあつ、生没年不明)は、江戸時代末期(幕末)の旗本。一色直頂の子。官位は従五位下・山城守のち摂津守。通称は邦之輔。
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稲葉貞通

いなば さだみち(1546-1603)
登場回数:1作

稲葉 貞通(いなば さだみち)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。豊後国臼杵藩の初代藩主。
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羽柴秀勝

はしば ひでかつ(1569-1586)
登場回数:5作
別名:於次丸

羽柴 秀勝(はしば ひでかつ)は、安土桃山時代の武将。織田信長の四男で、家臣の羽柴秀吉が養嗣子として迎え入れた。幼名は於次(おつぎ)または於次丸(おつぎまる)。 なお、秀吉の子(養子を含めて)には秀勝を名乗る者が3人おり、他の秀勝と区別するため、史家は便宜上、於次丸秀勝(または於次秀勝)と呼ぶことがある。
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永井直貞

ながい なおさだ(1598-1668)
登場回数:2作
別名:永井熊之助

永井 直貞(ながい なおさだ、慶長3年(1598年) - 寛文8年2月26日(1668年4月7日))は、江戸時代前期の旗本。永井直勝の三男。幼名は熊之助、通称は十左衛門。豊前守。兄弟に永井尚政(長男)、永井直清(次男)、永井直重(四男、式部少輔)、柴田康長正室、土屋利直正室、淳美友之室。室は山名豊政の娘。子に永井直孟、勝早。 慶長9年(1604年)、7歳の時徳川家光が誕生後すぐに、小姓として召し出された。元和元和9年(1623年)小姓組番頭となり豊前守に叙任し、同年武蔵国埼玉郡に1000石を賜る。寛永3年(1626年)、父の直勝が死去し、兄の尚政より遺領のうち上総国市原郡・長柄郡3300石を分与され、計4300石の領主となる。万治元年(1658年)に直孟に家督を譲る。
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円谷幸吉

つぶらや こうきち(1940-1968)
登場回数:1作

円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は日本の元陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。 福島県岩瀬郡須賀川町(現須賀川市)出身。自衛隊体育学校所属。最終階級は2等陸尉。中央大学経済学部卒。第一級防衛功労章、勲六等瑞宝章受章。
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奥宮健之

おくのみや けんし(1857-1911)
登場回数:1作

奥宮 健之(おくのみや けんし、1857年12月27日(安政4年11月12日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、自由民権運動で活躍した日本の社会運動家。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人であった。
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横山安武

よこやま やすたけ(1843-1870)
登場回数:1作

横山 安武(よこやま やすたけ、天保14年1月1日(1843年1月30日) - 明治3年7月27日(1870年8月23日))は、日本の武士(薩摩藩士)、陽明学者。通称は喜三次、元四郎、正太郎。明治新政府の腐敗・悪政を批判して28歳で諫死した。森有礼の兄。
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岡部久綱

おかべ ひさつな(?-1547)
登場回数:1作

岡部 久綱(おかべ ひさつな、生年不詳 - 天文17年(1547年))は、戦国時代の武将。駿河の大名である今川氏の家臣。出家後の法名は常慶(じょうけい)。 子に正綱、長秋(ながあき)、長教、娘(伊丹康直の正室)がいる。 天文10年(1541年)6月 今川義元の命により太原雪斎、久綱の両名が甲府へ派遣され武田信虎隠居の件について交渉を行ったとされる。
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荻生徂徠

おぎゅう そらい(1666-1728)
登場回数:4作

荻生 徂徠(おぎゅう そらい、寛文6年2月16日(1666年3月21日) - 享保13年1月19日(1728年2月28日))は、江戸時代中期の儒学者、思想家、文献学者。 名は雙松(なべまつ)、字・実名は「茂卿」で、字としては「もけい」、実名としては「しげのり」と読む。通称は惣右衛門(そうえもん)。徂徠(そらい)と号し(一説では「徂來」が正しいとする)、また、蘐園(けんえん)とも号した。「徂徠」の号は『詩経』「徂徠之松」に由来し、「松が茂る」の意味である「茂卿」ともに松に関する名であることが指摘される。本姓は物部氏で、「物徂徠(ぶっそらい)」「物茂卿」とも号した。 父は江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の侍医だった荻生景明。弟は第8代将軍となる徳川吉宗の侍医を務め、明律の研究で知られた荻生北渓。
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