偉人

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加納久通

かのう ひさみち(1673-1748)
登場回数:1作

加納 久通(かのう ひさみち)は、江戸時代中期の大名。初代八田藩主。江戸幕府8代将軍徳川吉宗の紀州時代からの側近。通称は孫市、角兵衛。官途名は近江守、遠江守。一宮藩加納家初代。紀州藩士から幕臣となり、御側御用取次から西ノ丸若年寄まで出世した。
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河合甚左衛門

かわい じんざえもん(1583-1634)
登場回数:1作

河合 甚左衛門(かわい じんざえもん、天正11年(1583年) - 寛永11年11月7日(1634年12月26日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士、剣客。
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華陽院

けよういん(1492-1560)
登場回数:2作
別名:於富の方/於満の方/源応尼

華陽院(けよういん、明応元年(1492年) - 永禄3年5月6日(1560年5月30日))は、戦国時代の女性。水野忠政の妻、のちに松平清康、星野秋国、菅沼定望、川口盛祐に嫁ぐ。実名は「於富の方」あるいは「於満の方」などといわれている。
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絵島

えしま(1809-1887)
登場回数:1作
別名:少進

絵島(えしま、文化6年4月(1809年) - 明治20年(1887年)2月22日)は、和宮親子内親王の侍女。父は田中氏。藤、少進とも称した。 京都に生まれる。弘化4年(1847年)橋本実久邸の和宮に仕え、嘉永4年(1851年)和宮の乳人を務めた。 万延元年(1860年)和宮降嫁問題が朝廷内で紛糾すると、島田左近らの工作を受けて和宮の生母である観行院や外戚の橋本実麗を説得。それを受けた実麗が降嫁を躊躇する和宮に再考を促したために降嫁が決定する。翌文久元年(1861年)少進の名を賜り、和宮の江戸降嫁に従い、以後は大奥で、観行院や宰相典侍らとともに、その側近として仕えた。 明治元年(1868年)江戸城開城後も引き続き静寛院宮(和宮)に従い、明治2年(1869年)年寄職と絵島の名を拝領した。明治10年(1877年)老齢のために隠居した。
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梶川頼照

かじかわ よりてる(1647-1723)
登場回数:4作
別名:梶川与惣兵衛

梶川 頼照(かじかわ よりてる)は、江戸時代前期の旗本。
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萱野重実

かやの しげざね(1675-1702)
登場回数:4作
別名:萱野三平

萱野 重実(かやの しげざね、延宝3年(1675年)- 元禄15年1月14日(1702年2月10日))は、江戸時代前期の武士。赤穂藩浅野氏の家臣。通称三平(さんぺい)。討ち入り前に忠孝のはざまで自刃した赤穂藩士として有名。俳人としても知られ、俳号は涓泉(けんせん)。父は萱野重利。
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間崎哲馬

まさき てつま(1834-1863)
登場回数:1作

間崎 哲馬(まさき てつま)は幕末の土佐藩士。哲馬は通称で、名を則弘という。
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岩崎弥太郎

いわさき やたろう(1835-1885)
登場回数:3作

岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、旧字体:岩﨑 彌太郞、天保5年12月11日〈1835年1月9日〉- 明治18年〈1885年〉2月7日)は、日本の実業家。三菱財閥の創業者。
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岐秀元伯

ぎしゅう げんぱく(?-1562)
登場回数:2作

岐秀 元伯(ぎしゅう げんぱく、生年不詳 - 永禄5年(1562年)3月23日)は、戦国時代の臨済宗妙心寺派(関山派)の禅僧。甲斐国甲府の長禅寺(山梨県甲府市愛宕町)住持。
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亀倉雄策

かめくら ゆうさく(1915-1997)
登場回数:1作

亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)初代会長。 代表作にフジテレビジョンの旧シンボルマーク(8マーク)や日本電信電話(NTT)のマーク(ダイナミックループ)、TDKのロゴマーク、1964年東京オリンピックのポスター、サンケイアトムズ、ニコンFおよびヤクルトスワローズのユニフォームがある。
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