偉人

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細川頼春

ほそかわ よりはる(1304-1352)
登場回数:1作

細川 頼春(ほそかわ よりはる)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将、守護大名。室町幕府侍所頭人。阿波国・伊予国・備後国・日向国・越前国守護。通称は蔵人。官位は従四位下・讃岐守、刑部大輔。名門細川氏の一門で、のちに代々室町幕府管領職を世襲する嫡流細川京兆家の祖。
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坂木磯八

さかき いそはち(?-?)
登場回数:1作

坂木 磯八(さかき いそはち)は、戦国時代の武将。上杉謙信の重臣である柿崎景家の家臣。
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三浦義明

みうら よしあき(1092-1180)
登場回数:2作

三浦 義明(みうら よしあき)は、平安時代末期の相模国三浦郡衣笠城の武将。三浦荘(現神奈川県横須賀市)の在庁官人。桓武平氏の平良文を祖とする三浦氏の一族。相模介・三浦義継の子。和田義盛、三浦義村の祖父。
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三条公教

さんじょう きみのり(1103-1160)
登場回数:1作

三条 公教(さんじょう きみのり/きんのり)は、平安時代後期の公卿。太政大臣・三条実行の子。官位は正二位・内大臣。
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三幡

さんまん(1186-1199)
登場回数:2作

三幡(さんまん、文治2年(1186年) - 正治元年6月30日(1199年7月24日))は、鎌倉時代初期の女性。源頼朝と北条政子の次女(頼朝の子としては第5子で次女、政子の子としては第3子で次女)。三幡は字であり、通称は乙姫。大姫・頼家の妹で、実朝の姉にあたる。貞暁とは異母兄妹(もしくは異母姉弟)。
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山口直毅

やまぐち なおき(1830-1895)
登場回数:1作

山口 直毅(やまぐち なおき、天保元年9月25日(1830年11月10日) - 明治28年(1895年)12月10日)は、幕末の旗本、明治時代の官吏、漢詩人。槍奉行林内蔵頭元賓(帰山)の子として江戸に生まれた。母は武川讃岐守恒前の娘。山口勘兵衛直養(なおかい、家禄2500石)の養子。通称は五郎次郎、別名は直亮。官途は従五位下信濃守、駿河守。号は泉処、夬堂。
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山中幸盛

やまなか ゆきもり(1545-1578)
登場回数:4作
別名:山中鹿介

山中 幸盛(やまなか ゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将。尼子氏の家臣。通称は鹿介(しかのすけ)。巷間では山中鹿介の名でよく知られる。幼名は甚次郎(じんじろう)。尼子三傑の1人。優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。 尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名。
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山南敬助

やまなみ けいすけ(1833-1865)
登場回数:2作

山南 敬助(やまなみ/さんなん けいすけ、天保7年(1836年) - 元治2年2月23日(1865年3月20日))は、江戸時代末期(幕末)の日本の武士・新選組隊士(副長、総長)。陸奥国仙台の出身とされる。諱は知信(とものぶ)。晩年は三南三郎を名乗っていた。 近藤勇らとともに新選組を結成する。当初は副長、後に総長を務めた。 屯所移転問題を巡り近藤や土方歳三と対立を深め、最終的に脱走したことで、新選組の隊規に違反したとして切腹とされているが、確たる文献や証明する歴史書等はなく、何故切腹にまで至ったか真相は謎である。 名字の「山南」読みについては「やまなみ」「さんなん」が考えられている。一般には「やまなみ」が広く知られているが、本人の署名に「三南」「三男」としたものがあるため、「さんなん」の可能性も高いと考えられている。
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山本貞幸

やまもと さだゆき(1452-1527)
登場回数:1作

山本 貞幸(やまもと さだゆき)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。
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市原盛宏

いちはら もりひろ(1858-1915)
登場回数:1作

市原 盛宏(いちはら もりひろ、1858年5月17日(安政5年4月5日) - 大正4年(1915年)10月4日)は日本の銀行家、政治家。横浜市長や朝鮮銀行初代総裁を務めた。
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