偉人

偉人

斯波義廉

しば よしかど(1445-?)
登場回数:1作

斯波 義廉(しば よしかど)は、室町時代中期から後期の武将、守護大名。室町幕府管領及び越前・尾張・遠江守護。足利氏一門の渋川氏出身で、父は渋川義鏡、母は山名宗全の伯父山名摂津守(実名不詳)の娘とされている。三管領筆頭の斯波氏(武衛家)を相続した(11代当主)。
偉人

寺内寿太郎

てらうち じゅたろう(?-?)
登場回数:1作

寺内 寿太郎(てらうち じゅたろう 1900年? - 没年不明)は、慶応義塾大学初の箱根駅伝ランナー。昭和初期の詩人。川柳にも才能を発揮し、当時流行の探偵小説にも凝ったことがある。
偉人

篠原国幹

しのはら くにもと(1837-1877)
登場回数:3作

篠原 国幹(しのはら くにもと、天保7年12月5日(1837年1月11日) - 明治10年(1877年)3月4日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人。位階は贈正五位。
スポンサーリンク
偉人

守矢頼真

もりや よりざね(1505-1597)
登場回数:1作

守矢 頼真(もりや よりざね、永正2年5月25日〈1505年6月26日〉- 慶長2年9月10日(1597年10月20日〉)は、戦国時代の神職。信濃国諏訪郡に所在する諏訪大社の神長官。『諏訪史料叢書』では守矢有実の子。子は守矢信真。初名は頼実。
偉人

酒井忠朝

さかい ただとも(1619-1662)
登場回数:1作

酒井 忠朝(さかい ただとも)は、江戸時代前期の若狭国小浜藩の世嗣。若年寄。官位は従五位下・備後守。
偉人

渋沢平九郎

しぶさわ へいくろう(1847-1868)
登場回数:1作

渋沢 平九郎(しぶさわ へいくろう、弘化4年11月7日〈1847年12月24日〉 - 慶応4年5月23日〈1868年7月12日〉)は、江戸時代末期(幕末)の豪農出身の武士。諱は昌忠。兄に富岡製糸場の初代工場長となった尾高惇忠と尾高長七郎、従兄に渋沢成一郎(喜作)、渋沢栄一がいる。渋沢栄一の見立養子となり、幕臣の子として彰義隊・振武軍に参加して飯能戦争を戦ったが敗北し、自害した。中の家に渋沢栄一が作らせた、平九郎の石碑がある
偉人

駿河次郎

するが じろう(?-?)
登場回数:2作

駿河 次郎(するが じろう、生没年不詳)は、平安時代末期の人物で源義経の郎党。名は清重といわれるが、その名は江戸時代に後付けされたものである。義経四天王の一人といわれる。中間、雑色などと呼ばれ身分は低い。
偉人

小磯國昭

こいそ くにあき(1880-1950)
登場回数:1作

小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年〈明治13年〉3月22日 - 1950年〈昭和25年〉11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。山形県士族。山形県新庄市出身。 陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官を歴任後、予備役に編入された。その後平沼内閣と米内内閣で拓務大臣、朝鮮総督(第8代)を務め、太平洋戦争中にサイパン失陥を受け辞職した東條英機の後継として1944年(昭和19年)に内閣総理大臣に就任した(小磯内閣)。悪化の一途をたどる戦局の挽回を果たせず、中華民国との単独和平交渉も頓挫し、小磯は1945年(昭和20年)4月に辞任し鈴木貫太郎に後を譲った。
偉人

小国重頼

おぐに しげより(?-1601)
登場回数:1作

小国 重頼(おぐに しげより、生年不詳 - 慶長6年5月1日(1601年6月1日))は、戦国時代の越後国の武将。越後上杉氏家臣。小国頼久の子。通称・刑部少輔、三河守。別称に頼村、実頼。『上杉年譜』によると名は真将とあり、父の名は義真となっている。 源頼光の子孫とされる小国氏の末裔。天神山城主。 天正元年(1573年)の軍役帳に重頼が当主となっている。上杉謙信に仕え、武勇に誉れがあったというが天正8年(1580年)には石見守(頼恭)の名前が天神山城主として登場。 天正10年(1582年)小国氏の家中で内紛があった事もあり、上杉景勝の命により直江兼続の実弟で樋口兼豊の次男・与七が養子となって、小国実頼と名乗る事になる。後に実頼は名字を大国と改めた為、小国氏は重頼の実子の秀安の系統が続く事になる。
偉人

小出光照

こいで みつてる(1845-1874)
登場回数:1作

小出 光照(こいで みつてる、弘化2年(1845年) - 明治7年(1874年)2月18日)は、幕末の会津藩士、明治時代の地方官吏である。通称は鉄之助、号は斗南。
スポンサーリンク