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正親町三条実愛

おおぎまちさんじょう さねなる(1821-1909)
登場回数:4作

正親町三条 実愛(おおぎまちさんじょう さねなる)は、江戸時代後期から明治期にかけての公卿・政治家、麝香間祗候。権中納言・正親町三条実義の子。官位は従一位・権大納言。維新後、改名して嵯峨実愛。
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清原武則

きよはら の たけのり(?-?)
登場回数:1作

清原 武則(きよはら の たけのり、生没年不詳)は、平安時代中期の武将。出羽の豪族、兵部大輔清原光方 の子(平安忠・清原武頼の子ともいう)。官位は鎮守府将軍従五位下。
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聖林院

しょうりんいん(?-1600)
登場回数:1作

聖林院(生年未詳 - 慶長5年(1600年)5月18日)は、加藤清正の母。天瑞院(豊臣秀吉の母)の従姉妹で尾張国(現在の愛知県)中村の加藤清忠と結婚し清正を産んだ。墓所は熊本市中央区の妙永寺にある。
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西郡局

にしのこおりのつぼね(?-1606)
登場回数:2作

西郡局(にしのこおりのつぼね、天文17年(1548年) - 慶長11年5月14日(1606年6月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。徳川家康の側室。上ノ郷城主・鵜殿長持の娘。 別名 西郡の方、蓮葉院。
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青木一重

あおき かずしげ(1551-1628)
登場回数:2作

青木 一重(あおき かずしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。摂津国麻田藩初代藩主。諱は重通ともいう。通称は所右衛門尉、民部少輔。官位は従五位下民部少輔。
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石川清兼

いしかわ きよかね(?-1578)
登場回数:1作

石川 清兼(いしかわ きよかね)は、戦国時代の武将。三河国碧海郡小川(愛知県安城市)に拠った石川氏の一族で、西三河に勢力をのばした松平氏の家臣。石川忠輔の子。当時の発給文書には忠成(ただなり)と記されている。 松平清康に仕え、その死後は広忠に近侍した。天文11年(1542年)の徳川家康誕生の際には「蟇目の役」を務めたとされる。天文18年(1549年)の天野孫七郎宛知行書、天文24年(1555年)の大工跡職安堵状、弘治3年(1557年)の浄妙寺宛て道場安堵書などから、この間松平家の重臣として、西三河における政務を取仕切る立場にあったと考えられている。また「岡崎領主古記」によると、清兼(忠成)は天文年間中の「五奉行」の一人であったという。 また、天文18年(1549年)、三河本證寺(野寺本證寺)の住職の後継として「あい松」なる人物を支持する旨の、門徒連判状の筆頭にその署名があり、一向宗門徒の総代的立場にあったことがわかる。また清兼を含めて、連署された115名の内33名が石川(もしくは石河)姓であることから、彼が西三河における石川氏の惣領として存在していたと考えられる。 現存する弘治3年(1557年)の安堵書が、清兼の存在を確認できる最後のもので、これ以降の詳しい消息は不明である。三男家成の生年(天文3年(1534年))から考えると、永禄5年(1562年)の三河一向一揆の際には既に家督を譲っていたと考えられる。天正6年(1578年)4月11日に死去したとされる。
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赤松政則

あかまつ まさのり(1455-1496)
登場回数:1作

赤松 政則(あかまつ まさのり)は、室町時代後期の武将・大名。加賀半国・播磨・美作・備前の守護大名・戦国大名。赤松家の第9代当主(当主在職:長禄2年(1458年)9月 - 明応5年4月25日(1496年6月6日))。 嘉吉の乱で滅亡した赤松家を再興した中興の英主で、管領の細川家に接近して中央政界での影響力を高めて従三位まで登り詰めた。一方で赤松家の戦国大名化も務め、1代で赤松家の全盛期を築き上げた。
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千種忠顕

ちくさ ただあき(?-1336)
登場回数:1作

千種 忠顕(ちくさ ただあき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。権中納言・六条有忠の次男。官位は従三位・参議、贈従二位。千種家の祖。
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川上音二郎

かわかみ おとじろう(1864-1911)
登場回数:1作

川上 音二郎(かわかみ おとじろう、1864年2月8日(文久4年1月1日) - 1911年(明治44年)11月11日)は、筑前黒田藩(福岡藩)出身の「オッペケペー節」で一世を風靡した興行師・芸術家、新派劇の創始者。川上の始めた書生芝居、壮士芝居はやがて新派となり、旧劇(歌舞伎)をしのぐ人気を博した。「新派劇の父」と称される。 幼名は川上 音吉(かわかみ おときち)。上方噺家としての名跡は浮世亭 ◯◯(うきよてい まるまる)。号は歎水。
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浅井万福丸

あざい まんぷくまる(1564-1573)
登場回数:3作

浅井 万福丸(あざい まんぷくまる)は、 戦国時代の人物。近江国の戦国大名・浅井長政の長男で、『翁草』と『浅井三代記』によれば嫡男。『浅井氏家譜大成』によれば諱は輝政とされる。
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