洞院公賢

偉人

基本情報

洞院 公賢(とういん きんかた)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。正式な名乗りは藤原公賢。左大臣・洞院実泰の子。官位は従一位・太政大臣。通称は中園相国。出家して空元。また遍昭光院とも称された。有職故実の大家で、歴代天皇・将軍からたびたび諮問を受けた。また、公賢の日記『園太暦』は、中原師守『師守記』と並ぶ最重要史料であり、重要文化財に指定されている。文芸にも造詣が深く、歴史物語『増鏡』の作者の正体としては、二条良基に次ぐ有力候補である。養女で後醍醐天皇側室の洞院廉子(阿野廉子)を通じて、南朝の後村上天皇の系譜上の祖父になる。

名前洞院公賢
よみとういん きんかた
性別男性
生年1291年
没年1360年

血縁情報

子供
兄弟

ランキング

登場作品
21位/21位
1回
配役数
25位/26位
2人
演者平均
64位/395位
57歳
寿命
33位/102位
69歳

出演情報

タイトル役者/年齢役名/出演回数
1991年安河内秀臣洞院公賢
太平記-1回/全49回
1991年山崎満洞院公賢
太平記当時57歳10回/全49回