基本情報
洞院 公賢(とういん きんかた)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。正式な名乗りは藤原公賢。左大臣・洞院実泰の子。官位は従一位・太政大臣。通称は中園相国。出家して空元。また遍昭光院とも称された。有職故実の大家で、歴代天皇・将軍からたびたび諮問を受けた。また、公賢の日記『園太暦』は、中原師守『師守記』と並ぶ最重要史料であり、重要文化財に指定されている。文芸にも造詣が深く、歴史物語『増鏡』の作者の正体としては、二条良基に次ぐ有力候補である。養女で後醍醐天皇側室の洞院廉子(阿野廉子)を通じて、南朝の後村上天皇の系譜上の祖父になる。
名前 | 洞院公賢 |
よみ | とういん きんかた |
性別 | 男性 |
生年 | 1291年 |
没年 | 1360年 |
血縁情報
親
- 【父】洞院実泰
【母】小倉季子
子供
兄弟
洞院公賢
- 洞院公敏
ランキング
出演情報
タイトル | 役者/年齢 | 役名/出演回数 |
---|---|---|
1991年 | 安河内秀臣 | 洞院公賢 |
太平記 | - | 1回/全49回 |
1991年 | 山崎満 | 洞院公賢 |
太平記 | 当時57歳 | 10回/全49回 |