野口源三郎
のぐち げんざぶろう(1888-1967)
登場回数:1作
野口 源三郎(のぐち げんざぶろう、1888年(明治21年)8月24日 - 1967年(昭和42年)3月16日)は、日本の陸上競技選手・指導者、体育学者。東京教育大学・東京高等師範学校・埼玉大学名誉教授。埼玉県榛沢郡横瀬村(現・深谷市)の出身であり、埼玉県初のオリンピック選手である。 選手としては十種競技を専門とし、第3回極東選手権競技大会で優勝、アントワープオリンピックに日本選手団の主将として出場し、12位という成績を収めている。指導者としては洋書を片手に指導を開始し、日本に最新の陸上競技の知識と技能を伝え、東京文理科大学陸上競技部では部長として日本学生陸上競技対校選手権大会で部を6度の優勝に導いた。体育学者としては陸上競技や学校体育の向上に尽力し、研究成果を本や論文として即座に発表して選手に還元した。これらの功績から「日本における近代陸上競技の父」と称される。