朽木稙綱
くつき たねつな(1605-1661)
登場回数:2作
朽木 稙綱(くつき たねつな)は、江戸時代前期の大名。近江国朽木藩主、下野国鹿沼藩主、常陸国土浦藩の初代藩主。福知山藩朽木氏初代。 朽木元綱の三男。元和4年(1618年)9月11日、第3代将軍・徳川家光に仕え始める。元和9年(1623年)に民部少輔に叙任された。寛永8年(1631年)5月21日には小姓組番頭に任命され、同10年(1633年)7月24日には書院番頭となった。寛永12年(1635年)11月20日、再び小姓組番頭となり、若年寄を兼任した。 元綱の死後、領地の一部を分知されていたが、寛永13年(1636年)に加増を受けて1万石の大名となり、近江朽木藩(兄の宗家とは別)を創設した。 その後、寛永16年(1639年)9月4日に1万石の加増を受け、正保4年12月14日(1648年1月8日)に更に5千石の加増を受けて下野鹿沼藩主となる。慶安2年(1649年)2月19日に若年寄を免ぜられ、3万石をもって常陸土浦藩に転封した。承応元年(1652年)11月1日、奏者番に任ぜられた。 万治3年12月13日(新暦1661年1月13日)、死去。長男の稙昌が跡を継いだ。