小西行長
こにし ゆきなが(1558-1600)
登場回数:11作
小西 行長(こにし ゆきなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。藤原北家秀郷流丹波内藤氏で、管領細川京兆家に仕えた丹波国守護代内藤元貞の玄孫。祖父・行正の代から小西氏を称した。肥後宇土城主。アウグスティヌスの洗礼名を持つキリシタン大名でもある。 当初は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となる。文禄・慶長の役では女婿・宗義智らと共に主要な働きをし、序盤の漢城府占領の際には加藤清正と先陣の功を争った。関ヶ原の戦いでは西軍の将として奮戦したが、敗北して捕縛された。自殺を禁じられたキリシタンであったので、切腹を拒否して斬首された。