島津久光
しまづ ひさみつ(1817-1887)
登場回数:8作
別名:島津忠教
島津 久光(しまづ ひさみつ)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本の大名、政治家。従一位大勲位公爵。字は君輝、邦行。雅号は幼少時が徳洋、以後は大簡・双松・玩古道人・無志翁と号した。 幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者で、公武合体運動を推進した。 明治政府の内閣顧問、左大臣。重富島津家当主、のち玉里島津家初代当主。 島津家第27代当主(薩摩藩10代藩主)島津斉興の五男で庶子。同28代当主(11代藩主)島津斉彬は異母兄、同29代当主(12代藩主)島津忠義は長男。次男・久治は宮之城家、四男・珍彦は重富家、五男・忠欽は今和泉家、と島津家の旧来の分家をそれぞれ相続した。香淳皇后の曾祖父、明仁上皇の高祖父にあたる。