偉人

偉人

五龍局

ごりゅう の つぼね(1529-1574)
登場回数:1作
別名:しん

五龍局(ごりゅう の つぼね、享禄2年(1529年) - 天正2年7月16日(ユリウス暦1574年8月2日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。実名は「しん」。毛利元就の次女。宍戸隆家の正室。五龍局以外にも、五龍、五龍姫、五龍の方、五もじなどと呼ばれた。
偉人

御子姫君

みこのひめぎみ(1164-1181)
登場回数:1作

御子姫君(みこのひめぎみ、長寛2年(1164年)? - 治承5年(1181年)?)は、平安時代末期の平家一門の女性。平清盛の七女。母は厳島内侍。冷泉局とも。 『玉葉』によれば、治承5年(1181年)正月、高倉上皇が危篤に陥ると、崩御したのちは中宮・平徳子を後白河法皇の後宮に入れるよう進言した者がおり、清盛・時子夫妻も承諾したが、徳子はこれを強く拒絶し、髪を切って出家しようとしたため、代わりに18歳の御子姫君が選ばれた。 法皇はこれを辞退したが清盛は強く押し進め、正月25日、御子姫君は法皇の後宮に入侍した。『平家物語』「廻文」によれば、大勢の女房・公卿にかしずかれ、女御の入内のようであったという。九条兼実は高倉上皇が亡くなって間もない時期の後宮入りを批判している。清盛は諸国で反平氏勢力が拡大する情勢の中、法皇との連携を模索するべく、縁戚関係を保つ政策をとったのである。 美貌の女性であったが、法皇は御子姫君に心を寄せることなく、御子姫君付きの女房(藤原伊実の娘)に手をつけている。 『源平盛衰記』によれば、御子姫君は入侍後間もなく没したという。
偉人

工藤祐経

くどう すけつね(1147-1193)
登場回数:3作

工藤 祐経(くどう すけつね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・御家人。藤原南家の流れを汲む工藤滝口祐継の嫡男。
スポンサーリンク
偉人

溝尾茂朝

みぞお しげとも(1538-1582)
登場回数:6作

溝尾 茂朝(みぞお しげとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。明智光秀の家臣。 姓は「三沢」も使用され発音は「みさわ」の説がある。
偉人

高遠頼宗

たかとお よりむね(?-1542)
登場回数:1作

高遠 頼宗(たかとお よりむね、? - 天文11年(1542年)9月)は、戦国時代の武将。高遠満継の子で、高遠城主・高遠頼継の弟。蓮峰軒と号。 天文11年(1542年)、高遠頼継は甲斐国の武田晴信(信玄)と同盟して、諏訪本家の諏訪頼重を攻め、同年7月5日に頼重・頼高は甲斐国・甲府へ連行され、7月21日に頼重・頼高は自害した。『神使御頭之日記』によれば、同年9月10日に兄・頼継はその跡を継ごうとして挙兵し、諏訪西方衆らを結集し、諏訪郡を制圧した。これに対し、武田氏は頼重の遺児である千代宮丸を擁立して諏訪郡へ侵攻し、諏訪一族を迎合した。 同年9月25日、両軍は宮川橋で衝突し(安国寺の合戦)、頼継方は敗北する。頼継は高遠へ逃れるが、この戦いにおいて頼宗は討死した。
偉人

高山友照

たかやま ともてる(?-1595)
登場回数:3作

高山 友照(たかやま ともてる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。キリシタン大名。勇猛で教養もあり、領民にも慕われ、誠実な武士の鑑として知られた。通称は図書、飛騨守。
偉人

高木清秀

たかぎ きよひで(1526-1610)
登場回数:1作

高木 清秀(たかぎ きよひで)は、戦国時代の武将。織田家、徳川家の家臣。徳川十六神将の一人。家紋は「高木鷹の羽」。
偉人

黒田孝高

くろだ よしたか(1546-1604)
登場回数:10作
別名:黒田官兵衛

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。キリシタン大名でもあった(洗礼名はドン・シメオン)。戦国の三英傑に重用され、筑前国福岡藩祖となる。 諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)(隠居名であるが)としても広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。
偉人

今参局

いままいりのつぼね(?-1459)
登場回数:1作

今参局(いままいりのつぼね、1426年? - 長禄3年1月19日(1459年2月22日))は、室町時代の女性。通称お今。室町幕府第8代将軍・足利義政の乳母。大舘満冬(みつふゆ)の娘、兄に大舘教氏(のりうじ)がいる。父と兄はそれぞれ、義政の祖父・義満(3代将軍)、父・義教(6代将軍)から偏諱の授与を受けている。今参局自身の本名は不明。義政側近の有力者として烏丸資任、有馬持家(有馬元家とも)と共に三魔(おいま、からすま、ありま)と称された。
偉人

佐々政元

さっさ まさもと(1529-1588)
登場回数:1作
別名:佐々平左衛門

佐々 政元(さっさ まさもと)は、戦国時代の武将。通称は平左衛門。木舟城主、後に龍ヶ峰城主も兼ねる。
スポンサーリンク