偉人

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山田宇右衛門

やまだ うえもん(1813-1867)
登場回数:1作

山田 宇右衛門(やまだ うえもん)は、江戸時代後期の武士、長州藩士。
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山尾庸三

やまお ようぞう(1837-1917)
登場回数:1作

山尾 庸三(やまお ようぞう、天保8年10月8日(1837年11月5日) - 1917年(大正6年)12月22日)は、日本の政治家。子爵。 長州藩重臣で寄組繁沢氏の給領地庄屋であった山尾忠治郎の二男。周防国吉敷郡二島村(現・山口県山口市秋穂二島)出身。木戸幸一(太平洋戦争時の昭和天皇側近)の外祖父(長女の寿栄が木戸の母)に当たる。
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山名宗全

やまな そうぜん(1404-1473)
登場回数:1作

山名 宗全 / 山名 持豊(やまな そうぜん/やまな もちとよ)は、室町時代の武将、守護大名。家系は新田氏庶流の山名氏。室町幕府の四職の家柄で侍所頭人。但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。山名時熙の3男で、母は山名氏清の娘。諱は持豊で、宗全は出家後の法名。応仁の乱の西軍の総大将として知られ、西軍の諸将からは宗全入道または赤入道と呼ばれていた。
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市川弘美

いちかわ ひろとみ(1816-1869)
登場回数:2作
別名:市川三左衛門

市川 弘美(いちかわ ひろとみ)は、幕末の水戸藩士。水戸藩執政(家老)、水戸藩内佐幕派諸生党の領袖。通称の三左衛門(さんざえもん)の名で知られる。
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施薬院全宗

やくいん ぜんそう(1526-1600)
登場回数:2作

施薬院 全宗(やくいん ぜんそう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての医者。豊臣秀吉の側近。渡来系で多くの医者を輩出した丹波氏の出身。施薬院は古文書には薬院とも書いてある。号は徳運軒で、徳運軒 全宗(とくうんけん ぜんそう)とも名乗った。 妻の永原実賢の娘との間に一男(施薬院秀隆)一女がいた。
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寺内正毅

てらうち まさたけ(1852-1919)
登場回数:1作

寺内 正毅(てらうち まさたけ、旧字体:寺內 正毅、1852年2月24日〈嘉永5年2月5日〉- 1919年〈大正8年〉11月3日)は、明治・大正期の日本の陸軍軍人、政治家。軍人としての階級は元帥陸軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功一級。爵位は伯爵。 書の雅号は桜圃、魯庵。「ビリケン宰相」の異名を持つ。 陸軍大臣(第7代)、外務大臣臨時兼任(第2次桂内閣・寺内内閣)、韓国統監(第3代)、朝鮮総督(初代)、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣(第19代)などを歴任した。 明治から大正にかけて陸軍軍人として活躍し、第1次桂内閣では児玉源太郎の後任として陸軍大臣に就任した。以来、第1次西園寺内閣や第2次桂内閣でも陸軍大臣を務めた。その後、曾禰荒助の後任として韓国統監に就任し、日本への併合を推し進めた。韓国併合後は朝鮮総督に就任した。のちに内地に帰還すると、寺内内閣を発足させ、内閣総理大臣を務めるとともに、外務大臣や大蔵大臣といった国務大臣を兼任した。元帥府に列せられていることから、階級を呼称する際には元帥の称号を冠して「元帥陸軍大将」と称される。
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篠原泰之進

しのはら たいのしん(1828-1911)
登場回数:1作

篠原 泰之進(しのはら たいのしん、文政11年11月16日(1828年12月22日) - 明治44年(1911年)6月13日)は、江戸時代後期の志士。新選組隊士(諸士調役兼監察方及び柔術師範)、御陵衛士。幼名は泰輔、変名を篠塚友平、秦河内(はた かわち)。維新後は、秦林親(はた しげちか)と改名。
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手代木勝任

てしろぎ かつとう(1826-1904)
登場回数:2作

手代木 勝任(てしろぎ かつとう)は、幕末の会津藩士。明治時代の地方官吏。
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酒井忠利

さかい ただとし(1559-1627)
登場回数:2作

酒井 忠利(さかい ただとし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川家の家臣。駿河田中藩主、武蔵川越藩初代藩主。老中。
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渋谷高重

しぶや たかしげ(?-1213)
登場回数:1作

渋谷 高重(しぶや たかしげ)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の相模国の武将。鎌倉幕府の御家人。渋谷重国の次男。
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