偉人

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田沼意行

たぬま おきゆき(1686-1735)
登場回数:1作

田沼 意行(たぬま おきゆき/もとゆき、貞享3年(1686年) - 享保19年12月18日(1735年1月11日))は、江戸時代中期の紀州藩士、幕臣(旗本)。田沼義房の子。田沼意次・意誠兄弟の父。
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田畑政治

たばた まさじ(1898-1984)
登場回数:1作

田畑 政治(たばた まさじ、1898年12月1日 - 1984年8月25日)は、日本の教育家、新聞記者、水泳指導者。静岡県浜名郡浜松町成子(現・浜松市中区成子町)出身。 長きに渡り日本水泳連盟会長を務めた他、1964年東京オリンピックの招致活動におけるキーマンの一人として知られる。
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土屋宗遠

つちや むねとお(1128-1218)
登場回数:1作

土屋 宗遠(つちや むねとお)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の相模国土屋の武将。中村宗平の三男。土肥実平の弟。桓武平氏系土屋氏の創祖。
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土肥実平

どひ さねひら(?-1191)
登場回数:7作

土肥 実平(どひ さねひら / どい - )は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。桓武平氏良文流中村宗平の次男。相模土肥氏の祖であり、小早川氏の祖とされる。 相模国の有力豪族中村氏の一族で、足下郡(現在の神奈川県足柄下郡湯河原町および真鶴町)土肥郷を本拠とし早川庄預所を務め、父や弟の土屋宗遠と共に相模国南西部において「中村党」と称される有力な武士団を形成していた。 現在のJR東海道本線湯河原駅から城願寺の辺りが居館であったと言われている。
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島津久経

しまづ ひさつね(1225-1284)
登場回数:1作

島津 久経(しまづ ひさつね)は鎌倉時代中期の武将。島津氏の第3代当主。鎌倉幕府御家人。第2代当主・島津忠時の嫡男(次男)。初名は久時。
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島津忠恒

しまづ ただつね(1576-1638)
登場回数:2作
別名:島津家久

島津 忠恒(しまづ ただつね) / 島津 家久(しまづ いえひさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将、外様大名。薩摩藩初代藩主。通称は又八郎。『絵本太閤記』には島津亦七郎忠常とある。 戦国大名として島津家を成長させた島津貴久の孫にあたり、島津義弘の子。最初の妻・亀寿は伯父・島津義久の娘で、初め忠恒の兄である島津久保と結婚したが、久保の死後に忠恒と結婚した。後に家久(いえひさ)と改名するが、同名の叔父が存在するため、初名の忠恒で呼ばれることが多い。
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東条英庵

とうじょう えいあん(1821-1875)
登場回数:1作

東条 英庵(とうじょう えいあん、文政4年(1821年) - 明治18年(1885年)7月17日)は、幕末・明治の蘭方医であり兵学者。本名は英、寅、後に礼蔵。号は、白玉、静軒。父は右田毛利家毛利筑前の家臣である東条永玄。
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藤原家成

ふじわら の いえなり(1107-1154)
登場回数:2作

藤原 家成(ふじわら の いえなり)は、平安時代末期の公家。参議・藤原家保の三男。官位は正二位・中納言。中御門を号す。
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藤原兼子

ふじわら の けんし(1155-1229)
登場回数:2作

藤原 兼子(ふじわら の けんし、久寿2年(1155年) - 寛喜元年8月16日(1229年9月5日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期の公家女官。刑部卿・藤原範兼の娘。通称は卿局(きょうのつぼね)。位階の昇進に応じて卿三位、卿二位とも。後鳥羽天皇の乳母。 同じく後鳥羽天皇の乳母である藤原範子は姉。範子と前夫の娘・源在子は後鳥羽天皇の妃となり土御門天皇を産む。叔父の藤原範季(父・範兼の養子になっているので義兄となる)は後白河法皇の院近臣で、後鳥羽天皇の養育にあたった。範季の娘・藤原重子(修明門院)は後鳥羽天皇の妃となり順徳天皇を産んでいる。
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藤原純友

ふじわら の すみとも(?-941)
登場回数:1作

藤原 純友(ふじわら の すみとも)は、平安時代中期の貴族・海賊。藤原北家、右大弁藤原遠経の孫。大宰少弐・藤原良範の三男。弟に藤原純乗がいる。官位は従五位下・伊予掾。 瀬戸内で朝廷に対し反乱を起こしたことで知られる。純友の乱は関東で平将門が起こした乱と併せて承平天慶の乱と呼ばれる。
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