偉人

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原田宗輔

はらだ むねすけ(1619-1671)
登場回数:1作
別名:原田甲斐

原田 宗輔(はらだ むねすけ、元和5年(1619年) - 寛文11年3月27日(1671年5月6日))は、江戸時代前期の武士。仙台藩重臣。奉行職。原田宗資の子。伊達騒動(寛文事件とも)当事者の一人。通称は甲斐で、原田甲斐(はらだ かい)として知られる。
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源経成

みなもと の つねなり(1009-1066)
登場回数:1作

源 経成(みなもと の つねなり)は、平安時代中期の公卿。醍醐源氏、大納言・源重光の孫。越前守・源長経の長男。官位は正二位・権中納言。
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源有仁

みなもと の ありひと(1103-1147)
登場回数:1作

源 有仁(みなもと の ありひと)は、平安時代後期の公卿。後三条天皇の皇子輔仁親王の第二王子。官位は従一位・左大臣。花園左大臣とも称された。皇族時代は有仁王と称する。
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古田重然

ふるた しげなり(1543-1615)
登場回数:4作
別名:古田織部

古田 重然(ふるた しげなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、茶人、芸術家。通称は古田織部(ふるた おりべ)。南山城・東大和1万石の大名。官位は従五位下織部助。 豊臣秀吉・徳川家康の茶堂、徳川秀忠の茶の湯指南役。茶道織部流の祖。江戸幕府(柳営)の御茶吟味役。柳営茶道の祖。千利休とともに茶の湯を大成し、茶器・会席具製作・建築・作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代から江戸時代前期にもたらした。 子供に、長子・重行(九郎八、豊臣秀頼家臣)、嗣子・重広、重尚(前田利常家臣)、小三郎(池田利隆家臣)、重久(左近、徳川秀忠家臣)がいる。
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五郎八姫

いろはひめ(1594-1661)
登場回数:3作
別名:天麟院

五郎八姫(いろはひめ、文禄3年6月16日(1594年8月2日)- 寛文元年5月8日(1661年6月4日))は、徳川家康の六男・松平忠輝の正室。伊達政宗の長女。母は正室の愛姫(田村清顕の娘)。出家後の院号は天麟院。
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御宿友綱

みしゅく ともつな(1546-1606)
登場回数:1作

御宿 友綱(みしゅく ともつな、天文15年(1546年) - 慶長11年3月21日(1606年4月28日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。医師でもあり、信玄の侍医を務めたといわれる。 通称は左衛門次郎。監物。妹に小山田信茂室、武田信堯室。正室は長坂光堅の娘。子に御宿政友、政綱。
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幸徳秋水

こうとく しゅうすい(1871-1911)
登場回数:1作

幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日〈明治4年9月23日〉 - 1911年〈明治44年〉1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、共産主義者、社会主義者、無政府主義者。本名は幸徳 傳次郎(こうとく でんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。大逆事件(幸徳事件)で処刑された12名のうちの1人。
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溝淵広之丞

みぞぶち ひろのじょう(1828-1909)
登場回数:2作

溝淵 広之丞(みぞぶち ひろのじょう 文政11年(1828年) - 明治40年(1909年)7月4日)は、幕末の志士(土佐藩士)。諱は義直。
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高階栄子

たかしな の えいし(1151-1216)
登場回数:5作
別名:丹後局

高階 栄子(たかしな の えいし / よしこ、仁平元年(1151年)? - 建保4年(1216年))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての女性。父は法印・澄雲とも上座・章尋とも言われている。母は、建春門院の乳母である平正盛の娘・政子(若狭局)とする説がある。通称は丹後局。
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高師氏

こう の もろうじ(?-1301)
登場回数:2作

高 師氏(こう の もろうじ)は、鎌倉時代中期~後期の武将。足利氏の家臣。高師直の祖父。
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