偉人

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相楽総三

さがら そうぞう(1839-1868)
登場回数:1作

相楽 総三(さがら そうぞう、天保10年(1839年) - 慶応4年3月3日(1868年3月26日))は、江戸時代末期(幕末)の尊皇攘夷派志士。江戸出身。赤報隊隊長。
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足利義氏

あしかが よしうじ(1189-1255)
登場回数:1作

足利 義氏(あしかが よしうじ)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府の御家人。足利義兼の三男。足利宗家3代当主。母は北条時政の娘時子。 武家の棟梁として名を馳せた八幡太郎義家の玄孫であり室町幕府初代将軍足利尊氏は来孫に当たる。
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足立六兵衛

あだち ろくべえ(?-1561)
登場回数:1作

足立 六兵衛(あだち ろくべえ)は、戦国時代の武将。美濃斎藤氏の重臣・日比野下野守清実の家臣。諱は不明。
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村田新八

むらた しんぱち(1836-1877)
登場回数:3作

村田 新八(むらた しんぱち、天保7年11月3日(1836年12月10日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、日本の武士(薩摩藩士)・政治家。
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大井貞隆

おおい さだたか(?-?)
登場回数:1作

大井 貞隆(おおい さだたか)は、戦国時代の武将。信濃国小県郡長窪城主。
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大久保忠員

おおくぼ ただかず(1511-1583)
登場回数:1作

大久保 忠員(おおくぼ ただかず)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣で蟹江七本槍の一人。
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大久保利通

おおくぼ としみち(1830-1878)
登場回数:12作
別名:大久保正助/大久保一蔵

大久保 利通(おおくぼ としみち、1830年9月26日(文政13年8月10日)- 1878年(明治11年)5月14日)は、幕末から明治前期にかけての日本の武士、志士、政治家。幼名は正袈裟、通称は正助、一蔵、諱は利済、利通、雅号は甲東。位階勲等は贈従一位勲一等。 明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称され、「維新の十傑」の1人でもある。初代内務卿で、内閣制度発足前の明治日本政府(太政官)の実質的・事実上の首相。
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大山捨松

おおやま すてまつ(1860-1919)
登場回数:2作
別名:山川咲子

大山 捨松(おおやま すてまつ、安政7年2月24日(1860年3月16日)- 大正8年(1919年)2月18日)は、日本の華族、教育者。旧姓は山川(やまかわ)、幼名はさき、のち咲子(さきこ)。日本最初の女子留学生の一人。大学を卒業して学士号を得た最初の日本人女性。元老となった大山巌の妻としての立場を通じ、看護婦教育・女子教育への支援を行った。
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大石良重

おおいし よししげ(1619-1683)
登場回数:1作

大石良重(おおいし よししげ、元和5年(1619年) - 天和3年5月18日(1683年6月12日))は、江戸時代前期の赤穂藩浅野家の家臣。通称は頼母助(たのものすけ)。 赤穂浅野家筆頭家老の大石良勝の次男として誕生する。兄の大石良欽が大石家1500石の家禄と筆頭家老職を継いだが、良重も藩主浅野長直の信任を得て450石取りの家老となり、長直の娘・鶴姫を妻にした。その間に、又太郎(早世)・亀之助(早世)・女(浅野長直養女として松平定逸の室)・浅野長恒(分地により3000石の旗本)・浅野長武(3000石の旗本浅野長賢の養子)が生まれている。なお、延宝3年(1675年)の「武鑑」に掲載されている家老に「同(大石)頼母」がいる。 延宝5年(1677年)に兄が死去すると、良重は19歳という若年で相続した良欽の子大石良雄の後見人についた。天和3年(1683年)2月に若き藩主浅野長矩がはじめて勅使饗応役に任じられたときには江戸にあり、長矩を補佐した。 同年5月18日に江戸で死去。享年65。芝二本榎の国昌寺に葬られた。
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大庭賢兼

おおば かたかね(1523-?)
登場回数:1作

大庭 賢兼(おおば かたかね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大内氏、毛利氏の家臣。
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