偉人

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渡辺勘兵衛

わたなべ かんべえ(?-1600)
登場回数:2作

渡辺 勘兵衛(わたなべ かんべえ)は、安土桃山時代の武士。石田三成の家臣。諱は不明。別名で新之丞(しんのじょう)とも書かれ、渡辺新之丞ともする。『佐和山落城記』の登場人物で、石田三成に付き従った家臣の1人としてその名が見られる。 なお、同じく渡辺勘兵衛を名乗った渡辺了(わたなべ さとる)とは別人である。
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土屋逵直

つちや みちなお(1659-1730)
登場回数:4作
別名:土屋主税

土屋 逵直(つちや みちなお、万治2年(1659年) - 享保15年8月3日(1730年9月14日))は、江戸時代前期の旗本寄合。通称は主税、一般には土屋 主税(つちや ちから)として知られる。上総久留里藩主土屋直樹の嫡男。妻は甲斐庄正親の女。子に亮直、好直、友直、伊奈忠正室。
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土方歳三

ひじかた としぞう(1835-1869)
登場回数:9作

土方 歳三(ひじかた としぞう、天保6年5月5日〈1835年5月31日〉- 明治2年5月11日〈1869年6月20日〉)は、幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷島政府陸軍奉行並。 諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷島政府」では、軍事治安部門の責任者に任ぜられて指揮を執った。明治2年5月11日(1869年6月20日)、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭の防衛戦で戦死。
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島津久徴

しまづ ひさなが(1819-1870)
登場回数:1作

島津 久徴(しまづ ひさなが)は、江戸時代後期の薩摩藩家老。島津庶家日置島津家の13代当主。
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島津豊久

しまづ とよひさ(1570-1600)
登場回数:3作

島津 豊久(しまづ とよひさ)は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。島津家久の息子。
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桃井春蔵

もものい しゅんぞう(1825-1885)
登場回数:1作

桃井 春蔵(もものい しゅんぞう、文政8年(1825年) - 明治18年(1885年)12月3日)は、江戸時代末期から明治時代の剣術家(鏡新明智流第4代)。旧姓は田中、幼名は甚助、通称は左右八郎、諱は直正。「桃井春蔵」の名は士学館の館主が代々襲名した名跡であり、直正は4代目桃井春蔵である。「品格随一」といわれた。
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藤原季範

ふじわら の すえのり(1090-1155)
登場回数:1作

藤原 季範(ふじわら の すえのり)は、平安時代後期の貴族・神官。熱田神宮の大宮司。藤原南家貞嗣流、藤原季兼の子。位階は従四位下。額田冠者を名乗る。
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藤原光頼

ふじわら の みつより(1124-1173)
登場回数:1作

藤原 光頼(ふじわら の みつより)は、平安時代後期の公卿・歌人。葉室大納言入道、桂大納言と称す。葉室光頼とも呼ばれる。藤原北家勧修寺流葉室家、権中納言・藤原顕頼の長男。官位は正二位・権大納言。葉室家3代。
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藤原成経

ふじわら の なりつね(1156-1202)
登場回数:4作

藤原 成経 (ふじわら の なりつね)は、平安時代末期の公卿。権大納言藤原成親の子。正三位・参議。後白河法皇に近侍し、右近衛少将兼丹波守になり丹波少将と呼ばれた。
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藤原長実

ふじわら の ながざね(1075-1133)
登場回数:1作

藤原 長実(ふじわら の ながざね)は、平安時代末期の公家・歌人。藤原北家末茂流、修理大夫・藤原顕季の長男。官位は正三位・権中納言、贈正一位・左大臣。八条を号した。
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