偉人

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楫取寿

かとり ひさ(1839-1881)
登場回数:1作

楫取 寿(かとり ひさ、天保10年(1839年) - 明治14年(1881年)1月30日)は、江戸時代末期(幕末)から明治中期の女性。楫取素彦の妻。幕末の思想家・吉田松陰の妹。旧姓・杉。名は久(久子)とも記される。
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瑤泉院

ようぜんいん(1674-1714)
登場回数:4作
別名:あぐり

瑤泉院(ようぜんいん、延宝2年(1674年) - 正徳4年6月3日(1714年7月14日)、生年については異説も)は、江戸時代中期の女性。赤穂事件で知られる赤穂藩主浅野長矩の妻。名は阿久里(あぐり/おくり)、阿久理・阿久利とも。 夫の死後、落飾して瑤泉院と称した。「ようぜいいん」と読まれることが多いが、これは冷泉家の「泉」を「ぜい」と読むことにつられた読み癖(誤読)で、正しくは「ようぜんいん」と読む。
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本因坊算砂

ほんいんぼう さんさ(1559-1623)
登場回数:1作
別名:日海

本因坊 算砂(ほんいんぼう さんさ、永禄2年(1559年) - 元和9年5月16日(1623年6月13日))は、安土桃山時代、江戸時代の囲碁の棋士。生国は京都。顕本法華宗寂光寺塔頭本因坊の僧で法名を日海と称し、後に本因坊算砂を名乗り、江戸幕府から俸禄を受けて家元本因坊家の始祖となるとともに、碁打ち・将棋指しの最高位、連絡係に任ぜられて家元制度の基礎となった。一世名人。本姓は加納、幼名は與三郎。
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徳川貞子

とくがわ さだこ(1850-1872)
登場回数:1作
別名:茂姫

徳川 貞子(とくがわ さだこ、嘉永3年10月27日(1850年11月30日) - 明治5年1月9日(1872年2月17日))は、有栖川宮熾仁親王の妃。
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原田孫七郎

はらだ まごしちろう(?-?)
登場回数:1作
別名:ガスパル原田

原田 孫七郎(はらだ まごしちろう、生没年不詳)は、安土桃山時代の商人。また、「ガスパル」の洗礼名を持ちガスパル原田とも呼ばれる。 長崎で貿易を営む原田喜右衛門の部下であった。海外情勢に詳しかったため1591年豊臣秀吉の使者として、スペイン領フィリピンに日本国への朝貢を要求する内容の書状を持ってマニラのスペイン領フィリピンの総督ゴメス・ペレス・ダスマリニャスのもとに出向き交渉した。 また、文禄3年(1593年)、現在の台湾にあるとされた「高山国」に秀吉の命で朝貢を促す文書(豐臣秀吉高山國招諭文書)を届けようとしたが、高山国が存在しない国家だったため交渉先を見つけることができずその試みは失敗した。その後の孫七郎の消息は不明。
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中原猶介

なかはら なおすけ(1832-1868)
登場回数:1作

中原 猶介(なかはら なおすけ、天保3年4月8日(1832年5月8日) – 慶応4年8月7日(1868年9月22日))は、日本の武士(薩摩藩士)、蘭学者・科学者・兵学者。
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ジョン・ブルック

じょん・ぶるっく(1826-1906)
登場回数:1作

ジョン・マーサー・ブルック (John Mercer Brooke、1826年12月18日 – 1906年12月14日)は、米国の海軍軍人、技術者 、科学者、教育者。大西洋横断海底ケーブルの敷設に多大な功績があり、また著名な海軍兵器発明者でもあった。咸臨丸が太平洋を横断した際には技術アドバイザーとして搭乗したが、実質的にはブルックが艦の指揮をとった。
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並河易家

なびか やすいえ(?-?)
登場回数:2作
別名:並河掃部

並河 易家(なびか やすいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。明智光秀の家臣。通称は兵庫介、後に掃部介。並河因幡守宗隆の弟。
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ジョセフ・ウィリアム・バランタイン

じょせふ・うぃりあむ・ばらんたいん(1888-1973)
登場回数:1作

ジョセフ・ウィリアム・バランタインは、アメリカ合衆国の外交官。
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三宅観瀾

みやけ かんらん(1674-1718)
登場回数:1作

三宅 観瀾(みやけ かんらん、延宝2年(1674年) - 享保3年8月21日(1718年9月15日))は、江戸時代中期の儒学者。名は緝明(つぐあき)、字は用晦、通称は九十郎、号は観瀾。兄に大坂懐徳堂の学主・三宅石庵がいる。
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