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源為成

みなもと の ためなり(?-1156)
登場回数:1作

源 為成(みなもと の ためなり)は、平安時代後期の武将。河内源氏、源為義の七男。母は賀茂神社の神主・賀茂成宗の娘。通称は八幡七郎、また賀茂七郎とも。
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源行家

みなもと の ゆきいえ(1141-1186)
登場回数:7作

源 行家(みなもと の ゆきいえ)は、平安時代末期の武将。河内源氏第五代源為義の十男。初めの名乗りを義盛(よしもり)という。新宮十郎、新宮行家とも。 以仁王の挙兵に伴い、諸国の源氏に以仁王の令旨を伝え歩き、平家打倒の決起を促した。 その後、源頼朝と対立が深まり、文治2年(1186年)、捕縛・斬首された。
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源頼賢

みなもと の よりかた(?-1156)
登場回数:2作

源 頼賢(みなもと の よりかた)は、平安時代後期の武将。河内源氏、源為義の四男。母は源基実の娘。あるいは文徳源氏の源資遠(資道)の娘とも。同母弟に源頼仲・源為宗がいる。左衛門尉。
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戸田氏栄

とだ うじよし(1799-1858)
登場回数:1作

戸田 氏栄(とだ うじよし、寛政11年(1799年) - 安政5年8月21日(1858年9月27日))は、江戸時代後期(幕末)の旗本、幕臣。官位は従五位下・伊豆守。知行は500石。浦賀奉行としてマシュー・ペリー来航時の折衝役となった。大垣戸田家の分家、深坂戸田家6代当主である。
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後村上天皇

ごむらかみてんのう(1328-1368)
登場回数:1作
別名:憲良/義良

後村上天皇(ごむらかみてんのう、1328年〈嘉暦3年〉10月4日または10月11日 - 1368年3月29日〈正平23年3月11日〉)は、日本の後醍醐天皇の七男。後醍醐天皇の皇子達の中でただ一人の天皇である、第97代天皇および南朝第2代天皇(在位:1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉- 1368年3月29日〈正平23年/応安元年3月11日〉)。諱は初め憲良(のりよし / のりなが)、後に義良(のりよし)に改めた。 父の後醍醐天皇の遺志を継いで南朝の京都回復を図り、東北地方(陸奥国)南部の宮城県多賀城市にある陸奥国府兼鎮守府の多賀城に入城。後醍醐天皇が多賀城に創設したに奥羽将軍府(東北地方将軍府)のトップとして、北朝を擁する室町幕府軍と南北朝の内乱を戦った。のち大和(奈良県)の吉野・賀名生、摂津(大阪府)の住吉などを行宮した。 1911年(明治44年)、明治天皇の明治政府によって南朝が正統とされたため、歴代天皇として列された。
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光厳天皇

こうごんてんのう(1313-1364)
登場回数:1作
別名:量仁/光厳上皇

光厳天皇(こうごんてんのう、1313年8月1日〈正和2年7月9日〉- 1364年8月5日〈正平19年7月7日〉)は、日本の北朝初代天皇(在位:1331年10月22日〈元弘元年9月20日〉- 1333年7月7日〈元弘3年5月25日〉)。諱は量仁(かずひと)。 在位期間は鎌倉時代末に後醍醐天皇が元弘の乱で配流されてから鎌倉幕府滅亡により復権するまでの間で南北朝時代より前であるが、明治時代以降歴代天皇から除外され便宜的に北朝初代天皇とされる。ただし、江戸時代後期の光格天皇まで用いられた『本朝皇胤紹運録』よる歴代数では第96代天皇とされている。
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広沢真臣

ひろさわ さねおみ(1834-1871)
登場回数:2作

広沢 真臣(ひろさわ さねおみ、天保4年12月29日(1834年2月7日) - 明治4年1月9日(1871年2月27日))は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治の武士(長州藩士)、政治家。維新の十傑の1人。賞典禄は1800石。
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荒木貞夫

あらき さだお(1877-1966)
登場回数:1作

荒木 貞夫(あらき さだお、1877年(明治10年)5月26日 - 1966年(昭和41年)11月2日)は、日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 真崎甚三郎と共にソ連との対立を志向した皇道派の重鎮。
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高橋久光

たかはし ひさみつ(1460-1521)
登場回数:1作

高橋 久光(たかはし ひさみつ)は、戦国時代の武将。石見国の豪族。 寛正元年(1460年)、高橋朝貞の子として生まれる。周防国の大内氏、出雲国の尼子氏と時勢を見極めながらどちらかの味方についたが、久光自身も武将としての力量に優れ、石見に高橋氏の勢力を拡大していった。また、娘が安芸国の毛利興元の正室になり、その間に毛利幸松丸が生まれる。そして興元が死去して幸松丸が毛利家当主になると、久光は外祖父として毛利家の実権も掌握し、石見高橋氏の全盛期を築き上げた。 しかし晩年には永正12年(1515年)に長男の元光が戦死するなどして、次第に高橋氏の衰退が見え始める。大永元年(1521年)、久光は備後国の豪族・三吉氏を討つために出陣したが、戦死した。享年62。 家督は孫の高橋興光が継いだが、久光の死で毛利氏では毛利元就が実権を握り、高橋氏は内紛などで急速に衰退してゆく。
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高松凌雲

たかまつ りょううん(1836-1916)
登場回数:2作

高松 凌雲(たかまつ りょううん、天保7年12月25日〈1837年1月31日〉 - 大正5年〈1916年〉10月12日)は、幕末から明治時代の幕臣・医師。筑後国御原郡(現福岡県小郡市)の農家出身。箱館戦争においては箱館病院を開院。その後、民間救護団体の前身と言われる同愛社を創設。日本における赤十字運動の先駆者とされる。
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