偉人

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井上正就

いのうえ まさなり(1577-1628)
登場回数:1作

井上 正就(いのうえ まさなり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、譜代大名、江戸幕府老中。遠江国横須賀藩初代藩主。浜松藩井上家初代。
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一条実経

いちじょう さねつね(1223-1284)
登場回数:1作

一条 実経(いちじょう さねつね)は、鎌倉時代の公卿。従一位、摂政 関白、左大臣。五摂家の一つ一条家の祖。号に円明寺殿、後一条入道関白など。法名に行雅、行雄、行祚などがある。通称は円明寺関白(えんみょうじ かんぱく)。 九条道家の四男に生まれる。母は西園寺公経女准三后綸子。長兄に九条教実、次兄に二条家祖の二条良実、三兄に鎌倉幕府4代将軍となった藤原頼経がいる。
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稲葉正往

いなば まさみち(1640-1716)
登場回数:3作

稲葉 正往 / 正通(いなば まさみち)は、江戸時代の譜代大名、老中。相模小田原藩3代藩主、越後高田藩主、下総佐倉藩初代藩主。稲葉正則の長男、母は毛利秀元の娘。正成系稲葉家宗家4代。
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宇喜多秀高

うきた ひでちか(1591-1648)
登場回数:1作
別名:宇喜多秀親

宇喜多 秀高(うきた ひでたか)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての人物。宇喜多秀家の嫡男。母は前田利家の娘で豊臣秀吉の養女の豪姫。官位は従四位下侍従。別名は秀隆。
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浦上清宗

うらがみ きよむね(?-1564)
登場回数:1作

浦上 清宗(うらがみ きよむね)は、戦国時代の武将。 浦上政宗の次男として誕生。『備前軍記』によると、永禄7年(1564年)1月11日、黒田職隆の娘を室に迎える婚礼当日に置塩城主・赤松晴政の攻撃をうけ室山城にて父・政宗と共に討死した。妻は城主を継いだ弟・誠宗に再嫁している。 ただし、没年を弘治2年(1556年)とする説もある。
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永田秀次郎

ながた ひでじろう(1876-1943)
登場回数:1作

永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年(明治9年)7月23日 - 1943年(昭和18年)9月17日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の官僚、政治家、俳人、随筆家。第18代官選三重県知事、第8代・第14代東京市長、第4代拓殖大学学長、貴族院勅選議員。廣田内閣の拓務大臣、阿部内閣の鉄道大臣を歴任。俳名・筆名は永田 青嵐(ながた せいらん)で、多くの著書や句集を残している。 長男は自由民主党衆議院議員の永田亮一。
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遠藤謹助

えんどう きんすけ(1836-1893)
登場回数:1作

遠藤 謹助(えんどう きんすけ、天保7年2月15日(1836年3月31日) - 明治26年(1893年)9月13日)は、明治時代の長州藩出身の官僚で長州五傑の一人。錦鶏間祗候。
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奥田行高

おくだ ゆきたか(1678-1703)
登場回数:3作
別名:奥田貞右衛門

奥田 行高(おくだ ゆきたか、延宝6年(1678年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は貞右衛門(さだえもん)。
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岡敬純

おか たかずみ(1890-1973)
登場回数:1作

岡 敬純(おか たかずみ、1890年(明治23年)2月11日 - 1973年(昭和48年)12月4日)は、昭和の海軍軍人、海軍中将、海兵39期、海大21期。位階は従三位。
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岡本健三郎

おかもと けんざぶろう(1842-1885)
登場回数:4作

岡本 健三郎(おかもと けんざぶろう、天保13年10月13日(1842年11月15日) - 明治18年(1885年)12月26日)は、幕末の土佐藩士、明治期の政治家・実業家。実名は養方。 土佐藩士・岡本亀七と寅の間に土佐郡一宮で生まれる。土佐藩下横目を務め、また坂本龍馬らと交流を持って国事にも奔走する。慶応3年(1867年)、龍馬とともに由利公正を訪ねて維新後の経済政策を聞き出している。 維新後は大阪府に勤め、土木頭、治部司、太政官権判事、大蔵大丞を歴任。 明治5年(1872年)、博覧会用務でオーストリアへ派遣された。明治6年(1873年)、明治六年政変で板垣退助らとともに下野し、退助らとともに民選議院設立建白書を作成した。明治11年(1878年)、立志社の獄で、小銃の弾薬を購入を企てた事を理由に投獄され、出獄後は自由党に加入しつつ、実業家として活動を始め、明治18年(1885年)、土佐人である岩崎弥太郎が設立に関わった日本郵船理事となっている。
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