偉人

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平盛綱

たいら の もりつな(?-?)
登場回数:2作
別名:盛阿入道

平 盛綱(たいら の もりつな)は、鎌倉時代初期の武士。鎌倉幕府の執権北条氏の家司。内管領長崎氏の祖。
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平田舜範

ひらた きよのり(?-?)
登場回数:1作

平田 舜範(ひらたきよのり、生沒年不詳)は、戦国時代の陸奥国の武将。平田輔範の子。清野長範、慶徳範重の父といわれるが定かではない。平田氏範の養父。左京亮、周防守。是亦斎。平田常範とは同一人物とも別人ともいわれる。 蘆名氏に仕え、「蘆名四天の宿老」と呼ばれた重臣の一人である。天文9年(1540年)2月、諏訪神社落成時に連署を出す。天正6年(1578年)、上杉謙信に応じて大槻政通、山ノ内重勝が背くと鎮圧のため出陣し、鎮圧に成功した。
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米内光政

よない みつまさ(1880-1948)
登場回数:1作

米内 光政(よない みつまさ、1880年〈明治13年〉3月2日 - 1948年〈昭和23年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵29期・海大12期。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。 連合艦隊司令長官(第23代)、海軍大臣(第19・24代)、内閣総理大臣(第37代)を歴任した。
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辺見十郎太

へんみ じゅうろうた(1849-1877)
登場回数:2作

辺見 十郎太(へんみ じゅうろうた)は、幕末から明治時代初期にかけての薩摩藩士、陸軍軍人。名は昌邦。
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蜂須賀正勝

はちすか まさかつ(1526-1586)
登場回数:10作
別名:蜂須賀利政/蜂須賀小六

蜂須賀 正勝(はちすか まさかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉(羽柴秀吉)の股肱の家臣。播磨龍野城主。徳島藩主蜂須賀家の家祖。 初名は利政。通称は小六(ころく)もしくは小六郎(ころくろう)で、特に前者は広く知られているが、のちに彦右衛門(ひこえもん)と改名している。官位は従四位下、修理大夫。
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西八条禅尼

にしはちじょうぜんに(1193-1274)
登場回数:2作

坊門信清娘(ぼうもんのぶきよのむすめ、建久4年(1193年) - 文永11年9月18日(1274年10月19日))は、鎌倉時代前期から中期にかけての女性。鎌倉幕府の第3代将軍・源実朝の正室。西八条禅尼と通称される。出家後の法名は本覚尼。父は公卿の坊門信清。兄に坊門忠信、坊門忠清らがいる。 実名を「信子」とする説が流布しているが、実際には「信子」という名は伝わっていない。『尊卑分脈』において信清の妹として掲載されている「信子」と混同したものと考えられている。
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北条綱成

ほうじょう つなしげ(1515-1587)
登場回数:1作

北条 綱成(ほうじょう つなしげ/つななり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。相模国鎌倉郡玉縄城主。北条家の主力部隊五色備えのうち、黄備え隊を率いた。綱成与力衆は組織上、玉縄衆とも呼ばれた。
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北条時房

ほうじょう ときふさ(1175-1240)
登場回数:2作

北条 時房(ほうじょう ときふさ)は、鎌倉時代初期の武将。北条時政の子。北条政子・北条義時の異母弟。鎌倉幕府初代連署。
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北条貞顕

ほうじょう さだあき(1278-1333)
登場回数:1作

北条 貞顕(ほうじょう さだあき)は、鎌倉時代末期の武将。北条氏の一門で鎌倉幕府第12代連署(在職:正和4年(1315年)7月12日 - 嘉暦元年(1326年)3月16日)、第15代執権(在職:正中3年3月16日(1326年4月19日) - 正中3年3月26日(1326年4月29日))。 父は金沢流の北条顕時。母は摂津の御家人である遠藤為俊の娘・入殿。金沢文庫で有名な北条実時の孫に当たる。金沢 貞顕(かねさわ さだあき)とも呼ばれる。
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牧野康成

まきの やすなり(1555-1610)
登場回数:1作

牧野 康成(まきの やすなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・譜代大名。徳川氏の家臣。はじめ三河国牛久保城主、のち上野国大胡藩初代藩主。官位は従五位下・右馬允。
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