偉人

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赤禰武人

あかね たけと(1838-1866)
登場回数:2作

赤禰 武人(あかね たけと)は、幕末の長州藩士。奇兵隊の第3代総管(総督)。赤根武人と書かれることも多い。
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千葉重太郎

ちば じゅうたろう(1824-1885)
登場回数:3作

千葉 重太郎(ちば じゅうたろう)は、幕末の剣客、鳥取藩藩士。北辰一刀流桶町千葉道場の創設者・千葉定吉の長男。
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川路利良

かわじ としよし(1834-1879)
登場回数:2作

川路 利良(かわじ としよし、天保5年5月11日(1834年6月17日) - 明治12年(1879年)10月13日)は、日本の警察官。幕末から明治初期の薩摩藩士、内務官僚。階級は大警視、陸軍少将(臨時)。位階は正五位。勲等は勲二等。 初代大警視(現・警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて詳細に構築した事実上日本の警察の創設者にして、「日本警察の父」とも言われている。西南戦争では大警視と臨時に陸軍少将を兼任し、警視隊で組織された別働第三旅団を率いて抜刀隊を指揮して西郷軍に大きな打撃を与えた。 名は当初「としなが」と名乗っていたが、後に「としよし」と改名した。通称は正之進。号は竜泉。家紋は六つ丁子車。遠祖は藤原氏といわれる。
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浅野長矩

あさの ながのり(1667-1701)
登場回数:5作
別名:浅野内匠頭

浅野 長矩(あさの ながのり)は、播磨赤穂藩の第3代藩主。官位は従五位下・内匠頭。官名から浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)と呼称されることが多い。江戸城本丸大廊下(通称松の廊下)における吉良義央に対する刃傷とそれに続く赤穂事件で広く知られる。
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前田孫右衛門

まえだ まごえもん(1818-1865)
登場回数:1作

前田 孫右衛門(まえだ まごえもん )は、幕末の長州藩士。諱は利済。甲子殉難十一烈士の一人。
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曾我時致

そが ときむね(1174-1193)
登場回数:2作
別名:箱王/曽我五郎

曾我 時致(そが ときむね)は、鎌倉時代初期の武士。曾我兄弟の仇討ちで知られる。曽我五郎、曽我時宗とも。
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糟屋武則

かすや たけのり(1562-?)
登場回数:2作
別名:加須屋真雄

糟屋 武則(かすや たけのり)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。賤ヶ岳の七本槍の一人。 姓は他に糟谷、粕屋、加須屋、賀須屋などとも記され、有名な名乗りとしては加須屋 真雄(かすや さねお/さねかつ)がある。他にも、数政、宗重、真安、直雄、宗孝など武則の別名として伝わっているが、年代によって違うことから、本人の名なのか子なのか混乱もある。
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足利義政

あしかが よしまさ(1436-1490)
登場回数:1作

足利 義政(あしかが よしまさ)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代征夷大将軍(在職:文安6年4月29日(1449年5月21日) - 文明5年12月19日(1474年1月7日))。父は第6代征夷大将軍足利義教、母は日野重子。第7代征夷大将軍足利義勝の同母弟にあたる。初名は義成(よししげ)。第6代征夷大将軍・足利義教の次男。 幼くして兄の跡を継ぎ、成長後は近習や近臣とともに親政に取り組むが、有力守護の圧力に抗することはできなかった。守護大名の対立はやがて応仁の乱を引き起こすこととなる。東山文化を築くなど、文化人的側面も多く見られるようになったが、大御所として政治に関与し続けた。
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村井貞勝

むらい さだかつ(?-1582)
登場回数:4作

村井 貞勝(むらい さだかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。織田政権下の京都所司代。通称は吉兵衛。出家して春長軒と号す。官位は民部少輔、長門守。
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太原雪斎

たいげん せっさい(1496-1555)
登場回数:5作
別名:太原崇孚

太原 雪斎/太原 崇孚(たいげん せっさい/たいげん そうふ)は、戦国時代の武将・政治家。臨済宗の僧侶(禅僧)で今川家の家臣。諱は崇孚。雪斎の号は居住した場所に「雪斎」と書かれた扁額があったことが由来。 父は庵原城主・庵原政盛(左衛門尉)。母は興津横山城主・興津正信の娘。父方の庵原氏は駿河庵原(現在の静岡市清水区)周辺を治める一族。母方の興津氏は横山城を本拠に海運を掌握し海賊(水軍)も率いていた。両家とも今川氏の譜代の重臣。今川義元に仕えて義元の家督相続に尽力。相続後は義元を補佐して内政・外交・軍事に敏腕を発揮して今川家の全盛期を築き上げた。 後奈良天皇から宝珠護国禅師を諡された。
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