偉人

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日野重子

ひの しげこ(1411-1463)
登場回数:1作

日野 重子(ひの しげこ、応永18年(1411年) - 寛正4年8月8日(1463年9月20日))は、室町時代中期の女性。日野家出身。室町幕府6代将軍・足利義教の側室。日野重光の子。7代将軍・足利義勝、8代将軍・足利義政の生母。兄は日野義資で、その孫が日野勝光、日野富子。義教の正室宗子は姉で、烏丸資任は従弟にあたる。
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乃美隆興

のみ たかおき(1513-1598)
登場回数:1作

乃美 隆興(のみ たかおき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。小早川氏の重臣。安芸国茶臼山城主。妹、もしくは娘が毛利元就の継室・乃美大方。
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白井小四郎

しらい こしろう(1838-1868)
登場回数:1作

白井 小四郎(しらい こしろう、天保9年(1838年) - 慶応4年7月29日(1868年9月15日))は、幕末の長州藩士。 天保9年(1838年)、長門国に生まれる。 その後、高杉晋作が結成した奇兵隊に参加する。 戊辰戦争では、二本松の戦いに長州藩の部隊長として出陣。松坂門入口を通りかかった時、潜んでいた二本松少年隊の生き残りである成田才次郎が馬に乗った先頭の白井に向って突進してきた。白井は瞬時に突っ込んでくるのを子供と見抜き、手を出さないよう兵を制し、道を開けた。 しかし、才次郎の突きを胸部に浴びて落馬し、己の不覚を悟り、才次郎を殺さないよう言い残して絶命した。享年31。 墓所は福島県二本松市竹田町の真行寺に存在する。
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畠山重保

はたけやま しげやす(?-1205)
登場回数:2作

畠山 重保(はたけやま しげやす、生年不詳 - 元久2年6月22日(1205年7月10日))は、鎌倉時代初期の武将。父は畠山重忠、母は北条時政の娘。通称は六郎。
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板倉重昌

いたくら しげまさ(1588-1638)
登場回数:3作

板倉 重昌(いたくら しげまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。三河深溝藩主。
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飛鳥井雅経

あすかい まさつね(1170-1221)
登場回数:1作

飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。刑部卿・難波頼経の次男。二条または明日香井を号す。官位は従三位・参議。飛鳥井家の祖。小倉百人一首では参議雅経。
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品川弥二郎

しながわ やじろう(1843-1900)
登場回数:5作

品川 弥二郎(しながわ やじろう、1843年11月20日(天保14年閏9月29日)- 1900年(明治33年)2月26日)は、明治時代の日本の官僚・政治家。栄典は正二位勲一等子爵。名は省吾、弥吉。号は扇洲。別称に橋本八郎、松本清熊などがある。
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武田観柳斎

たけだ かんりゅうさい(?-1867)
登場回数:1作

武田 観柳斎(たけだ かんりゅうさい、生年不詳 - 慶応3年6月22日(1867年7月23日))は、新選組隊士・五番隊組長(文学師範)。本名は福田廣(ふくだ ひろし)、諱は徳裕(のりひろ)。
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武林隆重

たけばやし たかしげ(1672-1703)
登場回数:4作
別名:武林唯七

武林 隆重(たけばやし たかしげ、寛文12年(1672年)-元禄16年2月4日(1703年3月20日)は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は唯七(ただしち)。
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福原広俊

ふくばら ひろとし(?-?)
登場回数:1作

福原 広俊(ふくばら ひろとし)は、大江姓安芸福原氏の人物。
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