偉人

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足利義詮

あしかが よしあきら(1330-1367)
登場回数:1作

足利 義詮(あしかが よしあきら)は、室町時代(南北朝時代)の室町幕府第2代征夷大将軍。初代将軍足利尊氏の三男。母は鎌倉幕府最後の執権・北条守時の妹で正室の赤橋登子(登子の子としては長男)。
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村越直吉

むらこし なおよし(1562-1614)
登場回数:3作

村越 直吉(むらこし なおよし)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士・旗本。徳川氏の家臣。
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太田資始

おおた すけもと(1799-1867)
登場回数:3作

太田 資始(おおた すけもと)は、江戸時代後期の大名、老中。遠江国掛川藩5代藩主。官位は従四位下・侍従、備後守、備中守。掛川藩太田家9代。
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大岡忠相

おおおか ただすけ(1677-1752)
登場回数:1作

大岡 忠相(おおおか ただすけ)は、江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。大岡忠房家の第4代当主で、9代将軍・徳川家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。
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大久保忠世

おおくぼ ただよ(1532-1594)
登場回数:5作

大久保 忠世(おおくぼ ただよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。松平氏(徳川氏)の家臣。三河国額田郡上和田(愛知県岡崎市)の大久保氏の支流である大久保忠員の長男。蟹江七本槍、徳川十六神将の1人に数えられる。
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大原重徳

おおはら しげとみ(1801-1879)
登場回数:3作

大原 重徳(おおはら しげとみ、1801年11月21日(享和元年10月16日)- 1879年(明治12年)4月1日)は、江戸時代後期から明治期にかけての公卿。権中納言・大原重尹の五男。官位は従二位・権中納言、贈正二位。
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大政所

おおまんどころ(1516-1592)
登場回数:10作
別名:仲

大政所(おおまんどころ)は、 摂政・関白職にある公卿の母親に対して、天皇が宣旨により贈与する尊称である「大北政所」の略称。 上記の尊称を受けた女性のうち、一般的には特に太閤・豊臣秀吉の生母を指す。本記事にて詳述する。 大政所(おおまんどころ、永正13年(1516年) - 天正20年7月22日(1592年8月29日)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。名は仲(なか)と伝えられる。法名は春岩(春巌)。院号は天瑞院。官位は二位尼君、従一位。彼女について正しくは天瑞院春岩と呼ぶべきであるが、現在ではこの大政所の称で呼ばれることが主である。 豊臣秀吉、秀長、瑞龍院日秀、朝日姫の生母である。
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大沢次郎左衛門

おおさわ じろうざえもん(?-?)
登場回数:2作

大沢 次郎左衛門(おおさわ じろうざえもん、生没年不詳)は、戦国時代の武将。美濃国宇留摩(鵜沼)城主。治郎左衛門とも。諱は正秀、基康、正重、正継、正次、為康などと伝わる。
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大内政弘

おおうち まさひろ(1446-1495)
登場回数:1作

大内 政弘(おおうち まさひろ)は、室町時代の守護大名。大内氏第14代当主。父は大内教弘、母は山名宗全の養女で山名熙貴の娘。最盛期には周防・長門・豊前・筑前と、安芸・石見の一部を領有し、強勢を誇った。応仁の乱には西軍側の主力として参戦する。文化にも造詣が深く、後年山口が西の京と呼ばれる基礎を築く。
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大林貞則

おおばやし さだのり(?-?)
登場回数:1作

大林 貞則(おおばやし さだのり、生没年不詳)は、戦国時代の武将。大林貞次の子。 三河国牛久保城主・牧野成勝の家老であった大林貞次の嫡子。 当初、子ができなかった貞次は山本貞幸の子を養子にしていたが、貞則が生まれたために廃嫡された。この養子が武田信玄の軍師として有名な山本勘助である。なお生年は不明だが、勘助が諸国放浪している最中に生まれた子だという。
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